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2009年11月24日 (火)

世乱れて「論語」あり

200911231519000 世界一やさしい「論語」の授業  佐久 協 著  ベスト新書

またまた慶応高校国語科名物教師、佐久先生の本が出ました。「論語」やら「孟子」が流行するときは、それだけ世の中が乱れているということ。世間は、身長2m20cmあったという孔子を誤解していることを、佐久先生はズバリ指摘されており、今回は前作の「論語」解説本を、四コマ漫画を駆使して、さらにやさしく解説してあります。

中国でも、孔子の生涯を描いた映画が快調に撮影中らしいし、「論語」はあちらでも注目されてるみたいですね。あとがきには、中国に関する不気味な近未来予測が書かれてあります。この先10~20年以内に、共産党一党独裁が破れ、多党化し、中国は混乱に陥ると。そうなると、中国に依存する世界経済は大打撃だし、食糧難は必至ですね。

でも日本は10~20年もつかな?日米関係を悪化させ、日本の防衛力をそぎ落とし、地方分権の名の下に国庫を破綻させようと企む輩がいますね。仕分け人というド素人が、好きなように国益を損なってますし。与党は決して「日本国民」とは呼ばず、「国民」にわかりやすく説明せよと官僚に詰め寄ってますが、官僚が徹夜漬けする予算組みって、そんなに容易に国民に理解できるものでしょうかね。

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2009年11月 5日 (木)

人生半ばを過ぎて想うこと

人生半ばを過ぎて、やり残したことが一つあります。それは旧制高等学校へ行けなかったこと。昨今、公立の中高一貫教育が叫ばれていますが、これって、旧制中学の復活にほかならないのではないでしょうか。戦後日本はなにを教育改革してきたのでしょうか?結局、振り出しに戻っただけではないでしょうか。

パンキョー(一般教養)の前身は旧制高等学校です。旧制中学でみっちりと基礎力を十分身につけた学生相手の少数精鋭教育を大衆化したら、大学生が多すぎて、教授の目が学生ひとりひとりに届かなくなって、教えても理解できない学力不足の学生が急増し、自然と教える側も教育熱が冷め、こんなくだらない勉強は要らないって大学生に逆ギレされてしまったわけで、教養部は大学でも肩身の狭い思いを強いられています。

しかし、医師は人間の死に直面するわけですから、他の職種よりパンキョー(人文教養)を勉強する必要がはるかにあります。

*旧制高等学校の青春 

http://www.youtube.com/watch?v=93h7ikLRKlc

小学校で、読み・書き・そろばんを系統立ててきちんと習えば、日本語が聞けて読めて話せて書ける「日本人」になる最も基本的な知識を身につけることができるはず。中学1年から5~6年もかければ、職業生活を営む上で必要十分な知識は身につくはずです。最近では漢字が書けない、読めない若者が増え、小・中・高で未修の教育課程を大学にまで持ち越しています。本来、大学とは職業訓練の場ではなく、研究機関であったはず。6年間職業訓練に終始する医学部はそういう意味では大学の亜流・傍流に過ぎないと思います。落第者は社会へ放出される厳しい場であったはずです。だからこそ、昔の大学生は今よりはるかによく勉強し、昔の大学は今よりはるかに権威があり、多くの人々の信頼を集めていました。大学に広がる麻薬・覚醒剤汚染はいかなる故にや。

大学で研究する上で最も大切なのは、外国の論文を読み、自分の研究成果を雑誌(ジャーナル)に掲載し、いち早く世界に伝えることです。オリジナリティ(originality)のある研究は高い評価を得ます。特許も取得しておくべきでしょう。学会でのスピーチがフロア(聴衆)の共感を呼べば、次の高いステップの研究環境が用意されることもあるでしょう。そのときの世界共通言語が外国語。外国語を自由に操ることができなければ、タッチの差で外国の競争相手に敗北するでしょう。日本人は、外国人の雑誌編集長(エディター)相手に外国語で自分を売り込まなくてはならないというハンディキャップを背負っています。旧制高等学校では、ある一定の学力を有した満16~20歳の若者相手に外国語を徹底的に叩き込み、イギリスの知識人なら誰でも知っているシェークスピアの文章、ドイツの知識人なら誰でも知っているゲーテの文章、中国の知識人なら誰でも知っている「論語」「孟子」といった古典を徹底的に教えました。これらをひっくるめて「教養」と呼びました。もうこれ以上教えることがないというくらい、教授によって徹底的に教養を叩き込まれた学生が、ゆったりと時間をかけて真に自分のやりたいことをみつけ、大学に進学し研究生活に入っていたのです。英会話ができるだけでは、外国人からジェントルマン(gentleman)とみなされません。

時代 

http://www.youtube.com/watch?v=N7k6ZhCWq3U&feature=related

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2009年11月 3日 (火)

だまし絵展をみて

阪神岩屋の兵庫県立美術館に、だまし絵展を観に行ってきました。最終日とあって、1時間以上の待ちでした。これが、だまし絵なのかといった静物画が散見しましたが、エッシャーの滝やフィッシャーの階段、動く建物の絵はなかなか見ごたえがありました。

全体的な感想として、確かにおもしろかったのですが、錯覚のための絵、技巧に走った絵、商品用の絵という気がしました。絵のテーマは、技巧のために選ぶべきではなく、画家の心の底から描きたいと湧き出る情熱、passionが大切だと思います。目に見える物体の本質を深く追求するレアリズム(ルネサンス)を批判し、こんなに錯覚があるじゃないかと主張するシュールレアリズムの思想もよくわかります。しかし、批判からはなにも創造されないと思います。あくまで自然体でキャンパスに向かった絵のほうが、やっぱり共感できます。

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2009年11月 2日 (月)

第61回正倉院展をみて

今年も、10月29日(木)正倉院展に行ってきました。午前診を終え、午後はポリオ集団接種。それから近鉄電車で奈良駅に下車して徒歩10分。駅切符売り場で100円割引の前売り券を買って17時に入ったので、中はガラガラ。どうせ17時に入るならレイトナイトチケットはさらに300円安で御得。早買いしてもったいないことしたなあと思うも後の祭り。仕事帰りに正倉院展見学・・・オツですなあ。まさに地の利の賜物です。今年のメインは、光明皇后の「楽毅論(がっきろん)」かな。男性っぽい豪快な筆跡です。あと、「紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)」は装飾が緻密できれいでした。スピーカーからは琵琶の弦をはじく音が流れていました。

今年は去年と比べ、出展物が少なく寂しい気がします。天皇陛下や皇太子殿下が来ないからかな?当時の中国で流行していたのを遣唐使が持ち帰ったと言われる紙切り小刀、「緑牙撥鏤把鞘御刀子(りょくげばちるつかさやのおんとうす)」は繊細な絵柄でした。どんだけ銀を使ってるねんと言いたくなる、「金銀花盤(きんぎんかばん)」は見ごたえがありました。

年配のご老人がジーっと「楽毅論」を見つめていました。きっと、どっかの大学教授かなんか偉い人なんだろうなあ。

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