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2009年10月13日 (火)

拝啓 橋本武先生

Img01 2年前の夏、同窓会に橋本武先生が招かれていて、お元気なお姿を見せていただいて以来、昨夜のNHKテレビ「ザ・コーチ」で、またまたお元気なお姿を拝見しました。「銀の匙」ノート・・・、いやぁ、とても懐かしかったです。ご存じない方がほとんどだと思いますが、「銀の匙」とは中勘助という作家の幼少の自叙伝であって、灘中の伝統的国語教科書でした。諸先輩方はみな「銀の匙」ノートの洗礼を受けました。いま読み返してみても、明治の頃の子供の暮らしがよく描かれてあります。灘では文部省選定の教科書をほとんど用いず、旺文社・数研出版・研究社や山貞「新々英文解釈」や毛利良雄シリーズのような受験参考書を使ったり、数学モノグラフシリーズなど担任教師の著書を使ったり、ガリ版の手作りプリントを使って授業が進められていきました。

宝塚歌劇ファンとかで、美術の先生かと見紛うばかりの赤色ギラギラのシャツをいつも着ておられましたね。「君たちは若いからこんな派手な服を着てはいけない。しかし老人は派手な服でちょうどいいんだ。」よくこんな訓示を聞かされていましたね。

「駄菓子買って来ましたー!」(橋本先生)

「おおー!」(教室中のどよめき声)

そうそう、橋本先生が買って来られた駄菓子を、先生の授業中に食べましたよね。ひとり5個くらいはあったかな?いま思い出すのは、番組で紹介された干支の授業もさることながら、己、已、巳の違いをクドクドと教えられたこと、春の七草や秋の七草を覚えさせられたこと、「銀の匙」の文中に出てきた難解な語句を使った短文練習を予習させられて、出席番号順にみんなの前で発表させられたこと。なんでこんなこと覚えなあかんのや?とずいぶん疑問に感じてました。

先生が国語科担任を勤められた最終学年であった、昭和49年灘中入学、1年1組のぼくらにとって、「銀の匙」の授業は、遅刻常習者H君を抜きには語れないのです。

「Hくーん、きなさーい!」

ひと呼吸おいて、思いっきり空気を吸い込んだ先生の口から、怒号が教室中に鳴り響きましたね。

「おまえは何度言ったらわかるんだ。なんで一本早い電車に乗れないんだー!」

それから先生は名簿の角でH君の頭をバチーンと叩いて、シーンと静まり返ったところから、いつも「銀の匙」の授業が厳かに始まっていましたね。

そのH君が京大を出て、麻酔科主治医として、先生の解離性腹部大動脈瘤という大病を治療したエピソードは、同窓会での最もうまい酒の肴でした。

「国語とは言葉を教えて終わりではない。もっと広いものだ。」

先生のこの言葉は考えさせられました。さすが、最高の教師養成学校、旧制高等師範学校をご卒業された先生の深みのある訓示でした。

「橋本先生は知的体力を養成されていたんですね。」

福岡で教師を志しておられた司会者、武田鉄矢氏のコメントも冴えていました。

いつまでもお元気で。そしていつまでもぼくらを教え続けてください。

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