心が問われる時代
奈良が誇るお寺といえば、やっぱり東大寺、薬師寺、唐招提寺、法隆寺でしょう。道徳が公に説かれず、個人の権利ばかりが主張される現代にあって、心の修養はぜったい必要である。心とはなにか?わかっているようで実はまったくわかっていない。そんな折、薬師寺の長臈(ちょうろう)、松久保秀胤(まつくぼ しゅういん)先生の「唯識初歩」すずき出版を読む結縁(けちえん)を得ることができた。唯識(ゆいしき)とは、世界を認識する心の仕組みを明確な論理で分析していく哲学的作業である。仏教の教義である以上、輪廻転生(りんねてんしょう)が前提となっているが、なぜ我を捨てなければならないか、そして我を捨てるためにはどういう思考過程を経ていけばいいのかを、この唯識が示している。
阿頼耶識(あらやしき)と呼ばれるキャンパスに、日々の思考や言動が刻まれていくという考えは、人生一度かぎりだから自分勝手に生きればいいという唯物論的風潮に歯止めをかけてくれるだろう。
最近のコメント