2024年9月 9日 (月)

藤原道雅、姸子内親王サロン、禎子内親王サロン

女たらしの悪い奴、藤原道雅。三条天皇の縁故者を食い物にしていった。「御堂関白記」を読んでいると、居貞親王は、道長といっしょに行動している。仲良かったようだ。

正妻 藤原宣孝娘 *宣孝は紫式部の夫

妾 平惟仲娘 *のち姸子内親王サロン女房筆頭を務め、「大和宣旨」と呼ばれた。

1013年 敦明親王の従者を半殺しの目にあわせた。

1016年 斎宮から帰京したばかりの当子内親王を犯した。

1024年 付き合いを断った花山天皇の皇女を隆範に殺害させた。

 

道長・倫子が三条天皇に入内させた姸子。大和宣旨をはじめ、常套手段のサロンを形成したが、皇女(禎子)が生まれ皇子が生まれなかった。道長激オコ。道長死去前年に姸子早逝。倫子ともどもめっちゃ泣いた。紫式部は7年前に死去。

母親のサロンを禎子内親王が引き継ぎ、白河院政下でのドンに巨大変化した。

摂関政治という呼称をやめて、女房サロン政治に改称すべきだ。美貌だの乳母のお乳だの、幼い天皇や二十歳の藤原といった殿方を虜にしている。皇女・内親王の地位は高く長生きして、長講堂領やら八条院領やら、鳥羽上皇が藤原から奪った不動産をいっぱい抱えていた。承久の乱で、これら不動産が全部、寺社やら北条氏一族独占になってしまう。僧兵は不動産を元手に金融取り立てを生業とした。

|

2024年9月 8日 (日)

NHK大河「光る君へ」をみて34

1007年(寛弘4)

1月5日 藤原嬉子誕生。藤原斉信の中御門焼亡。

1月13日 五位蔵人に藤原道雅(みちまさ)、六位蔵人に藤原広政(ひろまさ)と藤原惟規(のぶのり)。

|

大阪松竹座「カルメン故郷に帰る」をみて

高峰秀子主演の松竹映画は10回以上観た。東京池袋で何度も観た大好きな映画だ。近鉄特急で難波へ、井高野君と現地集合。座席は2階上手側。

おきん/リリーカルメン 藤原紀香

朱美/マヤ 横山由依

青山正一(おとっつぁん) 石倉三郎

ゆき(姉ちゃん) 月丘七央

田口春雄(オルガンの先生・カルメン初恋相手) 徳重聡

田口光子(春雄の献身的な妻) 惣田紗莉渚

 

牛に頭を蹴られておかしくなったおきんが、芸術の勉強をしに東京へ。おとっつぁんは心配で仕方なかったところへ、不意に娘が紀の川に帰るという知らせがある。おとっつぁんの予感的中で、まともな芸術なんかではなく浅草ストリップ劇場で働いているとのこと、派手な格好で朱美を連れて凱旋する。

イケメンで戦前はぶいぶい言わせていた春雄が、戦地で視力を失い復員。耳が聞こえなくなったり死んでしまった戦友より自分はずっと恵まれているとは言ってはみるものの、目が見えないことで差別を受けた、心の傷は癒されない。見える目はもう帰ってこない。自分は生きる価値はないんじゃないかと悩む日々を送る。光子も献身的に夫に尽くすも、まだ若いのだから綺麗な服を着たり化粧をしたりしたいお年頃だろう。そういった憧れも、愛する夫の介護のためにあきらめざるを得ない。失明して小学校教員を解雇され、光子は内職で家計を支えていかなければならない。いのち同然のオルガンをついに質入れしてしまう。

おきんが紀の川でストリップを披露して喜ぶのは、無責任な若人男性たち。彼らも日々生計を立てるために汗水流して働いている。怒り狂う女性陣。そんななか、おきんがパンパンと言われ差別を受ける。落ちぶれてしまったおきんが情けなくて、おとっつぁんは遂におきんを勘当する。姉ちゃんが必死になって、おきんとおとっつぁんのあいだを取り持つも、おとっつぁんの心の傷、おきんの心の傷は癒されることはない。とはいえおとっつぁんを愛するおきん。稼いだ金は老いて病むおとっつぁんに全部預ける。その金で、いのち同然のオルガンが春雄の手にもどる。小学校からオルガンの音が響く中、おきんと朱美を乗せた汽車が東京へ去っていく。結局、おきんが、ひとりの人間の生きがいを与えるという善業をひとつおこなった。みんなが心の傷をかかえながら、たくましく生きていくのであった。

ただ紀の川の自然だけが、なにも変わることがない。ふるさとは傷ついた人間をいつも暖かく迎えてくれる。

|

2024年9月 6日 (金)

宝塚歌劇星組「記憶にございません!」の解説

柳友一郎(美稀千種組長)の名言集。

「法律は運用が大事だよ。」

法律が大事なことは黒田啓介首相も合意した。法律は、法律違反したときの罰則がなければ無意味。明治維新自由民権運動法案や終戦直後憲法法案の「我々は人間である。」を違反することができるのか?条文間の矛盾がないことも法学者の最重要チェック事項だ。立派な条文を並び立てても意味がなく、運用できてはじめて意味が出る。法律を運用させるのは強制力(暴力装置)。

室戸防衛大臣(奏碧タケル)

「アメリカを怒らせてどうするのか?」

日本はアメリカの属国である。アメリカ軍が日本に駐留を続けている。中国が日本を属国にしたいと名乗りを上げてきている。

日本人は念仏好き。「戦争放棄」という念仏を唱えたらすべてが解決できると思う節がある。中国人も4文字スローガンが大好きだ。日本だけが戦争放棄した場合、外国から侵略を受けたらどうするか?左翼は外交話し合いで解決すればいいというが、軍隊を持たない国の意見を聞くような外国はない。外交とは降伏することではない。国連はアメリカとロシア・中国という利益相反団体が所属しており、拒否権が行使できるため一致した軍事行動は期待できない。左翼は「軍隊は戦争抑止力になる。」という議論を黙秘する。

「元首支持率2.3%で総理の地位に居られるのは、反対意見を自由に言える素晴らしいことだ。」

「元首支持率100%で人民共和国という立派な国名を持っても、言論の自由がないのでは意味がない。これを独裁と呼ぶ。」

言い得て妙なり。実際は官房長官に最高権力はなく、財務省事務次官が最強だろう。この問題点は官僚が国民の選挙で選ばれていない点にある。

美稀千種さんの「龍の宮物語」任侠親分、「めぐり会いは再び」旅芸人団長、「ロミオとジュリエット」神父の役がわたしの大好物。

|

2024年9月 5日 (木)

宝塚歌劇星組「記憶にございません!」「Tiara Azul」(2回目)をみて

朝8時半に嫁と家を出て、近畿自動車道と渋滞の中国自動車道を走って、宝塚大劇場に10時に到着。座席は1階前方上手側の良席でした。キャトルレーヴで、舞空瞳ちゃんのブロマイドを買いました。

井高野君も嫁も「星組、美人多くね。」

私は「せやろ、花組と星組はすごいで。」

「次観る花組公演も期待しといて。」

みんな、あーちゃんとくらっちの置き土産。

Img_9874_20240905200101

目の前の銀橋で、どどーんとスターが。オペラグラスを肩にかけて青色星組カラーの服を着てアピール。

国会中継のシーン。上手側花道で、極美慎君の周りを田原坂46のギャルが囲んで飲み会。生ビールジョッキを持つジェンヌが多いなか、かわいい藍羽ひよりちゃんは、レモンサワーを飲んでいました。

田原坂46上手側担当では、乙妃優寿(おとひゆず)ちゃんが目立ってきれいだったな。

Img_9880

客席降り。目の前になんと瑠璃花夏ちゃん、乙華菜乃ちゃん、鳳花るりなちゃん、そしてそして、詩ちづるちゃんが長時間踊ってくれました。かわいいですぅ。

首席の茉莉那ふみちゃんもオペラで追っかけ。

ラインダンスはセンター下手隣に、藍羽ひよりちゃんが、かわいらしく踊ってます。

まこっちゃん&ひっとん、ディズニー「When you wish upon a star」にのせて、奇をてらわず、模範的なクラシックバレエでしめてくれます。嫁、大喜びでした。御贔屓ダンスの花組とミスターパーフェクトまこっちゃんのすばらしい合作ハーモニーを目に焼き付けました。

Img_9866

|

2024年9月 4日 (水)

宝塚歌劇星組「記憶にございません!」「Tiara Azul」(1回目)をみて

午前診を終え、近畿自動車道、中国自動車道を走って、宝塚大劇場に行ってきました。現地で井高野君と合流。座席は1階やや前方下手側でした。キャトルレーヴで、芹香斗亜さん、彩風咲奈さん、詩ちづるちゃんのブロマイドを購入。

Img_9848

鶴丸(金丸?)幹事長は10年勤続で総理が5人代わったとか、人民共和国とか名前は立派でも人権がないとか、なかなか際どい皮肉が効いているなと思いました。瑠璃花夏ちゃん演じるアメリカ大統領(ヒラリー?)が、おちゃらけK2計画を日本に押し付けるなんぞ、属国日本の政治を風刺して余りあるものでした。現実は財務省事務次官&〇兆円ウクライナ支援金だけどね。

一番笑えたのは、ひろ香佑さんの演技。小野田治が長髪の蛮カラで登場し、若き黒田啓介(礼真琴)に助けられ、わたしの髪の毛は永遠に不滅ですと言った矢先に、バーコード焼野原になって、円熟した黒田啓介に二度救われるといったストーリー。

退団する水乃ゆりちゃんのニュースキャスターを見納め。

Img_9860

ショーは、サンバの圧がすごく、客席降りでは間近に藍羽ひよりちゃん、綾音美蘭ちゃん、水乃ゆりちゃんを見れてよかったあ。

退団する舞空瞳ちゃんをオペラで追っかけました。セーラー服姿、まこっちゃんとのデュエットダンスを見納め。

カサノバ風のまこっちゃんに絡むのが、新人公演主演経験者たち。次回からこの体制で行くのかあ。

|

2024年9月 2日 (月)

芹香斗亜さん退団

なんでやねん。キキ退団したら、宙組はみない。

|

安和の変(969年)

父・藤原師輔(もろすけ)の3兄弟が、伊尹(これただ)、兼通、兼家。兼通と兼家が不仲で、兼通は関白を辞する際、嫌いな兼家ではなく、従兄の藤原頼忠に譲ったことは有名な話。

ここでキーパーソンがいて、それが兼明(かねあきら)親王。源兼明(醍醐天皇第11皇子臣籍降下)であって、源高明(醍醐天皇第10皇子臣籍降下)のすぐ下の弟であった。「前中書王(さきのちゅうしょおう)」と呼ばれ、サロンを主催していた。子が源伊陟(これただ)で孫娘が宣旨の君。

969年、安和の変で、伊尹の指示で仲良しの兼家が穢れ仕事を務め、源高明を失脚させたことは確実視されている。源兼明は連座を免れ、971年、左大臣に就任。関白・兼通が977年、今わの際で、左大臣・源兼明を兼明親王に皇籍復帰させ、空いた左大臣の席に右大臣・藤原頼忠を据えて、関白を譲った。977年、同時に円融天皇は異母兄・源昭平を皇籍復帰させ、昭平親王とした。兄に臣下の礼を取らせないようにするための配慮だった。

984年、花山天皇即位。藤原義懐(よしちか)、藤原惟成(これしげ)、藤原為時が補佐。慶滋保胤(よししげのやすたね)が後宮サロンを主催。

1 永観の荘園整理令

2 禁破銭令

3 沽価法

985年、花山天皇、姫子寵愛が冷め、溺愛した怟子が懐妊中に死去。

986年、出家騒動が続出。資子内親王、藤原暁子、藤原相中、慶滋保胤、盛明親王が相次いで出家した。寛和の変で、花山天皇、藤原義懐、藤原惟成が出家。

一条天皇即位によって、藤原実資から藤原道兼に蔵人頭交代。道兼は中将を兼ねていたので、「頭中将(とうのちゅうじょう)」と呼ばれた。

*内裏を警護する近衛府。長官が大将、次官が中将。

|

2024年9月 1日 (日)

NHK大河「光る君へ」をみて33

1006年(寛弘3)

1月28日 除目の議の際、伊勢守・藤原為度(ためのり)から平維衡(これひら)だけは後任にしないことを念押しされ、辞表がもたらされた。平維衡は平貞盛の子で伊勢平氏の祖。右大臣・藤原顕光の家人で、堀河院を修理。平維衡は、998年(長徳4)に伊勢国で坂東平氏の平致頼(むねより)と合戦に及んでいた経歴を持つ。藤原顕光の推を退け、道長は欠官にまま一条天皇に奏上した。一条天皇は定子の次に元子がお気に入りで、顕光派の平維衡を推したという説がある。

国司が武力を持つと、武力を物言わせる世の中に変わることを、道長は危惧し、一条天皇にも理解を求めた。テレビでは、藤原隆家が、「これからは朝廷が武力を持たねばならない世の中になる。」と道長4納言に捨て台詞を吐いていた。

*平維衡は、道長が金奉山参詣の折、暗殺計画に加担した。

 

具平(ともひら)親王サロン(漢詩・和歌・香道・音楽・医学・仏道・陰陽道サロン)

親王は「六条の宮」「中務(なかつかさ)の宮」と呼ばれた。

邸宅は「桃花閣(とうかかく)」「千種殿(ちぐさどの)」と呼ばれた。季節ごとの花が咲き乱れるのを愛でた。源氏物語「六条院」のモデルになった。

1主催者

具平親王(969-1009)村上天皇第7皇子。長女・隆子(たかこ)を藤原頼道の正妻とした。さらに三女・嫥子(せんし)を斎宮に任じたのち、藤原教通の正妻とした。紀斉名(きのただな)と大江以言(おおえのもちとき)と慶滋保胤(よししげのやすたね)に学んで、文才、管弦、医学にたけており、「後中書王(のちのちゅうしょおう)」と呼ばれた。

藤原為時 紫式部の父

藤原為頼 為時の兄、紫式部の叔父

慶滋保胤 比叡山念仏結社の勧学会。六条池亭(阿弥陀堂)に住み、念仏三昧の日々を送る。「内記入道」と呼ばれ、陰陽師の真似事をする法師を戒めて私財を与えた逸話が残る。

藤原行成 

2女房たち

紫式部 具平親王の妾。のち道長の妾。藤原宣孝の妾となるも早逝。テレビでは奥手に描かれているが、男性遍歴がなければ源氏物語なんて書けるわけもなかろう。

 

彰子サロン

上臈にしか色物の服を着ることが許されなかった。十二単の色に注目!

1.幹部クラスの主催者

源倫子 左大臣・源雅信娘。左大臣/内覧・道長を完全支配する女帝。従一位まで出世の極み。正一位になれるのは亡霊だけ!紫式部を相手にせずとも、紫式部は最大警戒を怠らなかった。大鏡「御幸ひ極めさせたまひにたる」

赤染衛門 検非違使・赤染時用(ときもち)娘。実父は駿河守・平兼盛。倫子の古参女房。尾張守/丹波守・大江匡衡(まさひら)の妻。長男は和泉守・大江挙周(たかちか)。娘は江侍従(ごうのじじゅう)、後一条天皇と中宮(威子)に仕えた。

*紫式部は漢籍のプロ。清少納言は和歌のプロ。定子サロンで漢籍をひけらかす清少納言に対して紫式部は嘲笑。和歌がノンプロだったので紫式部は和歌をたくさん詠んだ。高等な技巧を要する漢籍でのミスは許されないという思いが強かったので易々と人前でご披露しかねた。

*紫式部の三才女批評

和泉式部「趣深い歌詠みだけど大して和歌に精通していない」

清少納言「利口ぶって得意顔だけど上っ面だけ」

赤染衛門「格別に優れた歌というほどではないが、ひけらかすことなく立派な歌の詠みぶり」

2.20人程度の女房

宣旨(せんじ)の君・陟子(ただこ) 権中納言・伊陟 (これただ)娘。伊陟は源明子の従兄。

馬中将(うまのちゅうじょう) 左馬頭・藤原相尹(すけまさ)と源高明娘(源明子の妹)の間の子。つまり明子の姪。紫式部と仲が悪い。中臈のくせに色物の十二単を着たおしている。

和泉式部 「こんなに暑いのに、十二単など御脱ぎあそばせ。」和泉守・橘道貞の妻。故・為尊親王と密通し、敦道親王とも密通。その死後に彰子サロンに参入。

紫式部 「もののあはれ。」具平親王の妾。道長の妾。

宰相の君(藤原豊子) 藤原道綱娘。敦成(あつひら)親王の乳母!大江清通(きよみち)妻、大江定経(さだつね)母。紫式部がもっとも好意をもっていた。

大納言の君(源廉子) 左大弁/大蔵卿・源扶義(すけよし)娘。道長の妾。

小少将の君 右近衛中将/丹波守・源時通(ときみち)娘。紫式部とは同室の仲。紫式部曰く、こんなに上品で可愛らしい女性なのに、なんで男が言い寄ってこないのかしら。女三宮と夕顔のモデルか。

伊勢大輔 大中臣輔親(すけちか)娘。高階成順(なりのぶ)妻、康資王母(やすすけおうのはは)母。「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」を詠む。彰子の返歌「九重に匂ふを見れば桜狩り重ねて来たる春かとぞ思ふ」紫式部と仲良しの後輩女房。

左衛門の内侍(橘隆子) 藤原理明(まさあき)妻。一条天皇に仕えていた内裏女房。明子派。倫子派の紫式部を敵視して「この人は日本紀をこそ読みたるべけれ。まことに才あるべし。」

上東門院女房 花山法皇皇女。長徳の変で連座し赦免された藤原道雅(みちまさ)の求婚を断ったため、1024年、盗賊刺客(隆範りゅうはん)に殺害され、死骸が犬に食われるという事件に発展した。

 

定子サロン

1 主催者

定子

2 女房たち

清少納言 長徳の変で落ち込んだ定子を励ますため「枕草子」をかく。藤原斉信(ただのぶ)とラブラブ。ライバル道長を恋焦がれたことがあり、村八分の目にあったことがある。

253段 男というものは、やはり女の私たちから見て世にも奇妙な合点のゆきかねる心を持った存在ではある。とても綺麗な女を捨てて、醜い女を妻にしているのも不思議千万だ。禁中(内裏)にお勤めしている男や良家の子弟などは、綺麗な中でも綺麗な女を選んで愛されたら良いのに。手の届きそうもない身分の女だって、自分の素晴らしいと思う女を死ぬほどにでも恋焦がれたらよいのに。人の女房や、まだ見ない女房などでも、綺麗だと聞く人をこそ、なんとかして妻にと、男は思うもののようだが。私たち女の目から見てもみっともないと思うような人を愛するのは、いったいどういうことだろう。顔かたちがたいそう綺麗で風流もよく心得た人で、字も上手だし、歌も趣深い歌を詠んで、男に恨みの手紙をよこしたりするのに、その返事はこざかしくするけれども寄り付かず、可憐に男の薄情を嘆いている女を見捨てて、ほかの女の許に行ったりするのは、呆れ果てて、自分のことでなくても腹が立って、はたでそういうのを見ていたら自分だっていやになるのに違いないのに、自分のことになると、ちっとも相手に対する気の毒さというものがわからない。

一条天皇「ふ、ふ、ふ。」

女房たち「そうだ、そうだ。」

 

選子サロン 

1 主催者

選子内親王 村上天皇第10皇女。斎院(賀茂祭に奉仕)。1012年(寛弘9)に「発心和歌集」を編纂。 

*斎宮は伊勢神宮に奉仕する。

2 女房たち

中将の君 斎院司・源為理(ためまさ)と大江雅致(まさむね)娘のあいだの子。和泉式部の妹。藤原惟規(のぶのり・紫式部の弟)の恋人。六条御息所のモデル。

 

2月25日 承香殿女御(藤原元子)が内裏(東三条邸)に参入したが、夜のうちに退出。「不生女」と揶揄された元子の父は、右大臣・藤原顕光。

3月4日 中宮、一条天皇ともに新築の紫宸殿(東三条邸寝殿=一条院)に遷御。中宮のもとに女方(藤原倫子)が足繫く通っている。

4月15日 一宮(敦康親王)が賀茂祭を見物。道長が女房車を一宮に献上した。

4月23日 女二宮(媄子内親王)が一条院に参入。媄子(びし)は一条天皇と定子のあいだの二番目の女児で、1008年に9歳で病死。

5月5日 上野守の橘忠範が死去。

5月13日 陣定にて除目をおこない、平惟衡を上野守に任命した。

5月14日 山階寺(興福寺)の僧3000人が馬允(うまのじょう・当麻為頼)の私宅を襲撃。興福寺僧の頭領は、蓮聖(れんしょう)。

5月16日 法住寺で、藤原文行が平正輔と口論し、検非違使別当(藤原斉信)が派遣した検非違使に矢を放ち逃亡。

6月20日 大和守・源頼親(よりちか)が興福寺の蓮聖を愁訴。

7月3日 損傷した神鏡を改鋳するか、陣定にて議論。あわせて蓮聖の公請を停止した。

7月6日 道長が下痢になる。

7月12日 興福寺の定澄(じょうちょう)僧都が道長の土御門邸に来訪。多数の僧侶が直訴しに来ることを予告。道長は、受けて立つと応答。

7月13日 一条天皇詔勅、興福寺大衆を追い返せと。

7月15日 興福寺大衆の直訴を裁定した。

7月27日 法性寺五大堂を建立。

7月30日 一条天皇の相撲御前試合。

8月6日 「白氏文集抄」「扶桑集」を一条天皇に献上。

8月7日 法性寺五大堂に、六丈の五大尊を遷した。

8月15日 一宮(敦康親王)が病気

8月17日 一宮(敦康親王)主催で童相撲を開催した。女一宮(脩子内親王)と女二宮(媄子内親王)も見物した。

9月22日 一条天皇たっての願いで、土御門邸にて競馬を見物。東宮(居貞親王)も同席した。

10月5日 東三条邸南院が焼亡。冷泉院が難を逃れ、花山院が心配になって土御門邸に来た。

10月20日 宋商人・曾令文が蘇木・茶碗・「五臣注文選」「白氏文集」を献上。

10月21日 源成方の邸宅を冷泉院の御座所と定め、移御。

10月25日 法性寺五大尊像を開眼した。大僧正は観修。

11月14日 月食。一条院で五節舞。

12月5日 藤原教通と藤原能信が元服。

12月16日 除目。権少僧都を源信から明肇(みょうちょう)に交代した。

12月29日 権大僧都・済信(さいしん)が東大寺別当を辞任したため、澄心(ちょうしん)か清寿(せいじゅ)か議論が白熱した。一条天皇は二人では駄目、一人に定めよと仰せになっていた。双方の評判を現地調査することで散会とした。

|

2024年8月31日 (土)

宝塚歌劇月組「琥珀色の雨にぬれて」(ライブ配信)をみて

午前診を終え、自宅でまったりと観劇しました。大学生のとき花組の琥珀初演を初観劇して以来。

月組の重厚感がとてもいい。白雪さち花ちゃん、一乃凛ちゃんの歌唱力が場を盛り上げる。ダンス花組だった水美舞斗さんのキレキレダンスがすばらしい。ルイとシャロン、お似合いのカップルなのに結ばれないのも人生。

マジョレ湖に佇むクロードには何も残っていなかった。妻フランソワーズ(白河りり)を捨て仕事を辞めて恋の炎も消えたモヌケの殻。背中がそれを物語る。ただシャロンとの思い出だけが涙を琥珀色に染めていった。シャロン(天紫珠李)の罪なき美しさが、硬派軟派2人のダンディの運命を狂わせた。高汐巴さんの孤独感あふれる演技に迫る鳳月杏さんの鬼気迫るお見事な演技でした。

もしWキャストがあるなら、この仮想バージョンも観てみたい。

クロード 風間柚乃

シャロン きよら羽龍

ルイ 英かおと

フランソワーズ 花妃舞音

|

2024年8月25日 (日)

NHK大河「光る君へ」をみて32

1005年(寛弘2)

安倍晴明、西方浄土へ旅立った。従者が唱えていたのは、阿弥陀如来真言。おんあみりたていせいからうん。

伊周、陣定に復帰。内裏火事の際、一条天皇と彰子が初めて触れ合う。八咫鏡にヒビがはいる。隆家と公任、道長の面前で殴り合いになりかける。

紫式部、嫉妬と派閥渦巻く藤壺に出仕。女の園、宝塚歌劇も同様だろう。一条天皇に朕のことを書いているのかとお咎めがあるくらいだから、倭国の話に挿げ替えなければならなかったのだろう。長谷寺観音と清水寺舞台は佐賀県背振山(隠国・こもりく)から移築したものであり、源氏物語の地名は倭国時代の配置のままになっている。「日本紀の御局」と評された紫式部は、発禁本「日本紀」すなわち倭国の歴史を熟知していた。宮内庁が現在隠しているものと思われている。

 

*知恩院の梵鐘も、佐賀県背振山(隠国)から移築されたことは周知の事実である。倭国のすばらしさは世界が絶賛するだろう。

*敦道親王:冷泉上皇の第4皇子で、和泉式部と熱いラブラブ。1007年死去。

*道長、倫子を「にょうぼう」と呼び、明子を「ほりかわのあたり」と呼んでいるのがオモロい。

3月26日 前帥(藤原伊周)と大宰大弐(藤原高遠)の昇殿が許された。

5月19日 一宮(敦康親王)が病気

5月20日 冷泉院が病気

5月24日 土御門邸で法華三十講の立義(=口頭試問)

第一ラウンド

 立義 興福寺の経救

 探題 覚運僧都

 問者 天台僧5人(経救の成績は落第1枚、保留1枚、合格3枚)

第二ラウンド

 立義 天台僧の教円

 探題 澄心律師

 問者 南京僧5人(教円の成績は保留1枚、合格4枚)

7月21日 前帥(藤原伊周)が陣定に参加開始。左衛門督(藤原公任)が一階昇叙。

7月28日 一条天皇、東宮(居貞親王)、帥親王(敦道親王)が相撲見物。

7月29日 中宮(藤原彰子)が相撲見物に加わった。

8月20日 堀河の辺り(源明子)に御産があった。男子(藤原長家)であった。

8月26日 堀河の辺り(源明子)に膳を送った。

9月1日 女方(源倫子)が一条院に行くも、触穢(月経)があったのですぐに土御門邸に帰還した。

9月9日 内裏で重陽節会の平座の宴を行った。作文のお題は「菊は花の聖賢である。(天皇万歳)」

9月22日 賀茂詣

9月26日 安倍晴明死去

10月6日 土御門邸で作文。お題は「雨の声が葉とともに飛ぶ。」

10月15日 鐘鋳造の完成を以て浄妙寺造営が完成した。鐘の鋳造は四位少将(藤原頼通)が担当していた。先考(藤原兼家)、先妣(藤原時姫)、昭宣公(藤原基経)をはじめとする先祖の菩提を奉ずるための寺であった。

11月15日 月食。内裏焼亡。主上(一条天皇)は中宮(藤原彰子)とともに中和院(ちゅうかいん)、飛香舎(ひぎょうしゃ)、職曹司(しきのそうし)、太政官朝所(だじょうかんあいたんどころ)へと避難された。翌日夜明けに神鏡を捜索したところ破損が判明した。

11月27日 一条天皇が東三条邸に遷御。あとから中宮(藤原彰子)が東三条邸に行啓。東宮(居貞親王)が東三条邸南院の東対に行啓。

12月4日 道長、風邪をひく

12月7日 道長、咳がひどくなる

12月22日 道長、慈徳寺に赴いて、故東三条院(藤原詮子)の菩提を葬った。法華御八講。道長内縁者には手厚いことですな。

|

2024年8月23日 (金)

禅と理趣経

禅とは無心になることではない。むしろ妄念と距離を置いて観ずること。

理趣経は説く。妄念は欲から生じる。

ゆえに欲と距離を置いて観ずれば涅槃に至る。

善哉 善哉 大薩埵

善哉 善哉 大安楽

|

2024年8月22日 (木)

売布神社皮膚科受診

昼過ぎから車で西宮北口へ。阪急で売布神社駅下車。休診にかかわらず、売布神社君の皮膚科クリニックを受診しました。

メラノーマ(悪性黒色腫)を心配しましたが、圧排法で採取した浸出液を鏡検、細胞成分が見当たらず、毛孔性角化症のご診断。ぽっかり開いた毛穴にダラシンT軟膏を塗布。

10分で患部撮影&休日診療が終わり、16時半から西宮北口の居酒屋「常夜燈」で赤ワインボトルを飲み、井高野君を誘って、もう一本追加、21時半に散会して、嫁の運転で奈良に帰還。なかなかアテがおいしかったです。

|

2024年8月18日 (日)

NHK大河「光る君へ」をみて31

紫式部、源氏物語執筆開始。朝廷で使う公的文書のための紙は紙屋院でつくる。道長、越前和紙を大量に紫式部に贈る。

噂話好きな女房相手のサロングッズに、実在の舞台や人物を描くわけもいかない。当時の高級官僚・藤原氏ならみんな知っていた禁書・倭国の歴史。上宮法皇の息子・わかんどおりの倭国を舞台に、それと匂わせる架空人物を登場させ、物語を書くことにした。

頼通の宇治平等院鳳凰堂や後白河法皇の三十三間堂は大宰府から京に移築した。礎石間の寸法が大宰府と畿内で異なることから移築だと容易に証明できる。

史実では、白氏文集を彰子に教えるために紫式部を女房として採用した。物語も書けるということでその才能を道長がさらに活用した。源氏物語は副産物か。応仁の乱で原本が焼失。

わたしは、纏足こそなかったものの女性が重装の平安時代より、女性が軽装の飛鳥時代のほうが好きだ。飛鳥時代の女性は開放的だった。

彰子は色恋沙汰を軽薄だと思っており、彰子の女房の身分が高く、引っ込み思案で愛嬌がなかった。定子のいた職の御曹司には、上達部や殿上人がひっきりなしに訪れていた。清少納言は枕草子をかくことで、彰子の中宮大夫になっていた斉信を牽制した。

倫子のこどもは正五位下からスタート。明子のこどもは従五位上からスタート。従五位下はパス。(蔭位の制

年爵の制とは、公卿以上の貴族が、お気に入りをひとり従五位下に叙すること。

 

1004年(寛弘1)

6月 道長、和気正世を遣わして、病気の源信を見舞う

7月10日 主上(一条天皇)、雨を祈る

7月14日 安倍晴明、五竜祭を行い雨を祈り、効果あり。

7月20日 東大寺大仏殿にて僧200人が雨を祈る

7月28日 帥親王(敦道親王)、相撲を見物

7月29日 東宮一宮(敦明親王)、相撲を見物

8月5日 大中臣輔親を召して、中和院に雨を祈らせる

     藤原朝経を召して、天台座主(覚慶)に雨を祈らせる

|

中高一貫カリキュラム(旧制中学方式)

振り返るとわたしの受けたカリキュラムはこんな感じ。社会科は受験では不要だが、社会に出てから大切になる。世界地誌がわからなければ世界史は理解できない。暇な中学時代に一通り終わらせる。経済学もめっちゃ大事だ。通史終えずに近現代史の勉強は理解が消化不良を起こす。

中1 日本地誌 日本史 地質鉱物学、地震、プレート理論、モホロビチッチ面 力のモーメント、密度、比重、比熱、熱膨張、蒸気圧、浮力 代数、平面幾何 植物学

中2 世界地誌 東洋史 天文学、合、衝 理論化学計算 化学反応式 数1 三角関数 動物学

中3 世界地誌 西洋史 無機化学 幾何光学 数1、数2B、漸化式 生理学のまとめ

高1 地形・気候・貿易のまとめ 近現代史 経済学 立体幾何、微積分・微分方程式(数3) 有機化学(電子論) 遺伝学 進化論

高2 力学、電磁気学、熱力学、波動 分子生物学(細胞機能)

高3 自習中心、いまなら予備校かな。昔は放課後の現役コースがなかった。放課後は浪人の教養講義。

|

宝塚歌劇雑感45

宝塚歌劇雪組2013年 ベルサイユのばら フェルゼン編

フェルゼン 壮一帆 → 彩風咲奈

マリーアントワネット 愛加あゆ → 夢華あみ

オスカル 早霧せいな → 煌羽レオ

アンドレ 未涼亜希 → 帆風成海

ジェローデル 夢乃聖夏 → 久城あす

アラン 彩風咲奈 → 永久輝せあ

ベルナール 彩凪翔 → 月城かなと

ロザリー 早花まこ → 星乃あんり

小公子 永久輝せあ → 真絛まから

小公女 星乃あんり → 妃華ゆきの

小公女 彩月つくし → 有沙瞳

 

本役さんと新人の絆は深いはず。

|

2024年8月15日 (木)

Endless SHOCK 2024をみて

中之島美術館から阪急三番街に移動してランチ。その後、モワッとした炎天下、梅田芸術劇場に向っている途中で、待ち合わせ約束の井高野君と遭遇し、二人で堂本光一君のラストステージをみました。1階4列目やや上手側の良席でした。

綺咲愛里ちゃんは、何を着ても綺麗でして、今回は喪服姿を新たに拝みました。筋肉隆々の光一君が、5回かな、空中で演技していたのには圧倒されました。あーちゃんは歌い踊りまくってましたが、とくに光一君&あーちゃんのデュエットダンスがよかったです。

キャスト総勢での殺陣と、大太鼓乱れうちの迫力が半端なかったです。

|

大阪中之島美術館「醍醐寺国宝展」後期をみて

近鉄特急、四つ橋線に乗り継いで肥後橋駅下車、嫁と中之島美術館に行ってきました。前期と比べ、半数近く新しい展示品で変わっていました。

処分状 理源大師直筆の国宝

五重塔両界曼荼羅図 国宝

大威徳明王像

求聞持法根本尊図像(虚空蔵菩薩像) 空海もやっていた求聞持法

虚空蔵菩薩像

閻魔天像 国宝

善女龍王像

理性院祖師像 国宝 住職のデッサン集

輪宝羯磨文戒体箱 灌頂の戒文を収める箱 金細工で結界をはっている

醍醐花見短冊 秀吉3首、(前田)利家2首、秀頼2首 醍醐の花見での真筆やから、めっちゃロマンを感じた

秀吉がもう少し長生きして、秀頼がしっかり成人していれば、士農工商の身分がなくなり、もっと早くアメリカ式の民主主義議会制度が取り入れられたかもしれない。安土桃山時代は間違いで、大坂時代に改めるべき。安土城での政治はきわめて短期間だったし、明智光秀の坂本城で政治実務がおこなわれており、本能寺の変後は大坂城が政治の檜舞台であって、伏見桃山城は政治の舞台ではない。

金天目 秀吉お気に入りの義演が秀吉から賜った茶碗

調馬図屏風 大名御曹司が指南役から馬の調教を受けているのが微笑ましい

桐蒔絵腰掛 醍醐花見で使用された椅子。皮革が使用されている。

竪義法則幷番論議(りゅうぎほっそくならびにばんろんぎ) 国宝 義演が右筆(ゆうひつ)に書写を命じた。

法会(僧侶レベル昇進試験)

 探題が義料(問題のテーマ)を選ぶ

 問者が難(質問)を難詰する

 竪者が義(見解)を応答する

 精義が合否を決定する

義演准后立願文 国宝

 義演准后日記には、方広寺の京大仏の話が詳しく書かれているらしい。

|

特攻

今朝から、早田ひな選手の「知覧の特攻資料館に行きたい」発言を知りました。わたしは、まだ行ったことはありませんが、土浦・海軍少年飛行兵軍曹だった父親が昭和20年8月、ジョクジャカルタで特攻志願して、終戦で捕虜になり、昭和21年に帰国しました。毎晩夜中ハンモックで泣き声がするなか眠り、起床命令、数秒単位でハンモックをたたみ整列し敬礼するや否や、日本人として誇り高く、明るく特攻志願して散った多くの戦友たちのなまの姿を子供のころから聞かされていました。

東京高等師範学校を卒業され灘高・地理教諭だった藤原一馬先生と奇しくも出会い、授業中、人間魚雷の体験談を聞き、卒業後何度か明石の自宅にお邪魔して特攻のお話を聞きました。特攻とは避けることのできない誇り高き職業だったと思います。

開業して、日本史や世界史の勉強を再開しました。戦争を推進した高級官僚たちの史実を学んでほしいと思います。英領マレー侵攻「ハリマオ」谷豊氏の英雄談は語られていても、その直後のシンガポール中国人虐殺は、日本中央官僚が「なんにん処刑のノルマ」を課していており、陸軍は従ったが、海軍は断固拒否した話とか、いまの日本政治に脈々として生き残っています。

|

2024年8月14日 (水)

當麻寺を訪ねて

近鉄を乗り継いで当麻駅下車、徒歩15分で嫁と當麻寺に行ってきました。

Img_9453

白鳳時代の梵鐘。

Img_9462

白鳳時代の石塔。

Img_9480

聖徳太子の弟・麻呂子親王の孫、當麻国見が681年(白鳳9)に起工。百済僧・恵灌が指導。衰退荒廃した河内六寺(鳥坂寺 家原寺 智識寺 山下寺 大里寺 三宅寺)とちがって、現在まで當麻寺が残ったのは、源平合戦など戦乱を回避できたことと、信仰の厚さゆえ。

白鳳時代の古仏がたくさん残っており、東塔・西塔二つとも創建当初のまま残っているのは當麻寺だけだそうです。

Img_9504

藤原仲麻呂の兄・豊成の娘、中将姫が継母に執拗に殺害されかけたことを憂いて當麻寺に身を寄せた際、観無量寿経に基づいた阿弥陀如来の浄土世界を織り成したのが、當麻曼荼羅でした。仲麻呂の讒言により、豊成が橘奈良麻呂の乱に関与していたと疑われ、右大臣罷免、大宰府左遷となりましたが、仲麻呂の乱後、冤罪が認められ政界復帰、ほどなく死去。

本堂(曼荼羅堂) 本尊は當麻曼荼羅

 恵心僧都がつくった来迎仏、自ら彫った中将姫坐像がある。

Img_9465

講堂 本尊は阿弥陀如来坐像

 藤原時代の定朝様式と書かれているが、胸に卍があり、おそらく九州倭国から移したものだろう。

 右に地蔵菩薩立像、左に妙憧菩薩立像。

Img_9487

金堂 本尊は白鳳時代の弥勒菩薩坐像

 白鳳時代の四天王立像もある。

Img_9499

西塔

Img_9492

宝物館

 平重衡の硯

 二十五菩薩来迎像 室町時代

 白鳳時代の塼仏

 當麻曼荼羅延宝本

浄土庭園

Img_9515 Img_9526

奥院本堂(御影堂) 本尊は円光大師(法然上人)坐像。

 写経しました。

Img_9541

中之坊 香藕園(こうぐうえん)

 東塔を眺めました。

Img_9549 

|

2024年8月12日 (月)

大山崎山荘美術館「中国やきもの7000年の旅」をみて

近鉄特急、JR各停を乗り継いで、山崎駅下車。天王山に行ってきました。改装中の愛知県陶磁美術館から逸品がやってきていました。

Img_9376 Img_9377

釉薬を使い始めたのは、三国時代からだそうです。

灰陶鬲(かいとうれき) 西周 

 青銅器を陶器で作ってみました的な作品。陶磁器は青銅器の延長線上にあるようだ。

紅陶尖底双耳瓶(こうとうせんていそうじへい) 仰韶文化

 水に浮かべると水が徐々に入り、ある地点でまっすぐになり、きれいに器全体に水が満たされる仕組み。

白陶鬹(はくとうき) 大汶口文化

 注ぎ口がある陶器を使えるのは高貴な人物だけ。

加彩女子俑(かさいじょしよう) 前漢

 遊牧民と混血する前の漢民族原型の顔をみよう。

緑釉爐(りょくゆうろ) 後漢

 蝉のさなぎの串焼き。食べてたんだね。

緑釉貼花忍冬文尊(りょくゆうちょうかにんどうもんそん) 北斉・隋

 東魏文化と西魏文化の融合。戦争だけやなく文化人も行き来してました。

三彩駱駝(さんさいらくだ) 唐三彩

 ソグド商人のフタこぶラクダだよーん。

三彩牡丹文海棠形盤(さんさいぼたんもんかいどうけいばん) 遼三彩

 遼も宋に負けられまへんで。軍事だけやなく文化も上やでの気概十分。

白磁輪花盤(はくじりんかばん) 北宋 定窯

 宋と言えば定窯(ていよう)、そして幻の柴窯(さいよう)。

兎毫盞(とごうさん) 南宋 建窯

 禾目天目(のぎめてんもく)。

玳皮盞(たいひさん) 南宋 吉州窯

 鸞天目(らんてんもく)。

|

2024年8月11日 (日)

宝塚歌劇雪組「ベルサイユのばら;フェルゼン編」(ライブ配信)をみて

自宅でコーヒーを飲みながらまったりと観劇。研18、彩風咲奈さんの晴れ姿を見送りました。咲さまのトップが待ちきれず、2番手時代から突然通い詰めました。

サヨナラショーでは、咲さまの心からのメッセージがありました。トンデモ演出家など夜泣くことがあっても、舞台を続けてこられたのは、ファンがいてくれたからこそ。望海風斗さんの精神的バックアップに感謝されていました。

最後は、大浦みずき風の燕尾服群舞で締め、カッコよかったです。

|

2024年8月 8日 (木)

上部&下部消化管内視鏡検査

毎年恒例、近医でAI胃大腸カメラを受けてきました。ピロリ菌なく、特に病変もなし。今秋は嫁もやっと検査を受ける気持ちになってくれました。

来週は、光一君&あーちゃん公演を観劇、再来週は、灘の同級生・売布神社君に背中の微小皮膚腫瘍を切除してもらいます。いままでこれで3回目。30G針の局麻は痛くない。

|

2024年8月 2日 (金)

魏晋南北朝時代

邪馬台国、倭五王を論じるにあたり、不都合な歴史的証拠を徹底的に抹殺して畿内説に収束させようと操作する日本史学会に対抗するには、中国史学会に頼るしかない。「空白の四世紀」とは歴史的証拠の徹底的抹殺の賜物だ。自作自演の茶番。

夷の北朝、正統の南朝。高句麗、柔然、倭といった周辺諸国から遣使を受けたのは南朝であった。文化的に遅れた北朝が、河西地域に温存された漢魏の文化の征服吸収だけでは足らず、北魏・孝文帝が南朝からの亡命者を積極的にブレーンとして起用したことにより、東魏・北斉、西魏・北周の時代には、南朝との文化的水準の格差はなかった。

 

*北朝と南朝、流民のスカウト合戦

北魏は愚帝の多い南朝(宋・斉)より住みよかった。北朝への亡命者が多い。やんごとなき司馬氏に辺境を守らせて餌にした。

北魏・孝文帝の鮮卑人と漢人の平等政策が失敗、北魏も洛陽に遷都し、都・鄴の警護のために設置された強大な武力を有する六鎮が、新都・洛陽から遠ざかり、柔然の北の脅威もなくなったこともあって役立たずで貧乏な穀潰しだと見下されると政情が乱れ、南朝の梁に菩薩天子(武帝)が仏教的平和を実現することで、北魏より住みよくなった。このころから南朝への亡命者が増えた。

東魏や西魏になると、鮮卑人が漢人に優るムードになり、やはり南朝のほうが住みよかったので、こぞって梁に亡命した。

宇宙大将軍・侯景の乱で梁が一気に壊滅すると、混乱する梁から北斉や北周への亡命者が増えた。愚帝がつづき戦乱荒廃の限りを尽くした陳は、連敗、国土失地、梁の繁栄を回復できず、隋により滅亡。

 

魏晋南北朝時代の地方長官は、軍事を司る将軍府と、民政を司る州刺史の2系統があった。将軍府の属僚が府佐、州刺史の属僚が州佐で、府佐は州佐より位が高かった。府主が信頼のおける府佐を推挙したが、中央の吏部や皇帝の承認が必要であった。州刺史が任地の有力氏族の子弟から州佐を任用した。

亡命氏族で大物と言えば、東晋の司馬氏をおいてほかにない。

Img_9161

402年 司馬休之が桓玄に敗れ、南燕に亡命。慕容徳が重用。南朝にコンプレックスを抱く道武帝が華北名族・崔氏を南朝びいきとして処罰したことに恐れをなしたため、司馬氏は北魏に亡命しなかった。劉裕が桓玄を倒すと東晋に帰国したが、劉裕に命を狙われるようになる。

408年 司馬国璠司馬叔道が劉裕に敗れ、後秦に亡命。姚興が重用。

415年 司馬休之が後秦に亡命。

417年 劉裕が後秦を滅ぼす。司馬休之が北魏に亡命。

420年 司馬国璠と司馬道賜が北魏に対して反乱。

422年 司馬楚之が北魏の南征に参加。のち司馬楚之が抱えていた戸民が分離され、北魏の都だった鄴に強制移住させられた。

443年 北魏が仇池の楊氏を併合して華北平定。辺境地に住まわせていた司馬氏を劉裕の宋征伐に向わせていたのを、柔然に対する北征に向かわせるように変更した。宋の文帝による「元嘉の治」により南朝の政情が安定すると、司馬氏を辺境に置いて南朝からの亡命者を招くという目論見が成り立たなくなったため、北の柔然に目を向けるように変わった。

450年 北魏の道武帝が国史の獄を起こし、南朝かぶれの華北名族を殲滅しようとした。華北名族は単に南朝の官僚システムを北魏に取り込もうとしていただけ。

465年 宋の文帝九男・劉昶(りゅうちょう)が前廃帝・劉子業の粛清を逃れ、北魏に亡命。孝文帝の朝儀改革に大いに貢献した。丹陽王から宋王、大将軍へと出世を果たした。

493年 斉の州刺史だった王奐が大逆罪で誅殺され、その子・王簫(おうしょう)が北魏に亡命。孝文帝の南征に貢献した。州刺史、車騎将軍に抜擢された。

南朝からの亡命氏族に対抗したのが、以下の華北名族だ。

渤海 高氏

清河 崔氏

趙郡 李氏

弘農 楊氏

范陽 盧氏

亡命氏族は、信頼関係にあった同じ亡命氏族を配下に置くことが多かった。

480年代には、司馬氏のブランドネームバリューはなくなっていたと考えられている。司馬裔(しばえい)は北魏の都・洛陽から本貫地の河内郡にもどり、華北名族と姻戚関係を結ぶことでなんとか中流貴族にとどまっていた。河内の郷兵を率いて西魏の軍として参加し、西魏の都・長安にこぞって移住した。

その後は、北魏の宗室が内紛で梁に亡命するケースが増えた。梁は、菩薩天子と尊敬された武帝が半世紀以上のあいだ治めた国だった。その息子である昭明太子は、聖徳太子が模範とした賢人であった。

Img_9164

爾朱栄は漢人士大夫層と交流がなく、北魏・孝文帝の漢化政策に対する反動であった。漢人に対する民政はそっちのけで、胡人が酒池肉林にふけったのだ。東魏・西魏時代、高歓や宇文泰は鮮卑語を用いて軍令を出しており、漢人と融和に再び向かうのは、北斉・北周時代を待たなければならなかった。

契胡(羯の一種)出身の爾朱栄(じしゅえい)

*爾朱栄集団の構成員

朱瑞、叱列延慶、魁斯椿、賈顕度、智兄弟、賀抜勝、岳兄弟、侯莫陳悦、侯淵

高歓宇文泰

 

*六鎮の反乱軍

杜洛周、鮮于修礼、葛栄

高歓は杜洛周、葛栄に仕え、爾朱栄に寝返った。

宇文泰は鮮于修礼、葛栄に仕え、爾朱栄に寝返った。

 

524年3月~528年9月 葛栄を破って六鎮の乱を平定。

528年4月 河陰の変を起こす。帝室(元氏)と漢人・鮮卑人の上級貴族の大半を粛清した。

529年 北海王の元顥(げんこう)が梁に亡命して洛陽を占拠した南奔事件を、爾朱栄が平定。「天柱大将軍」の称号を授かった。

530年9月 孝荘帝が爾朱栄を誅殺した。

530年10月 爾朱栄集団が長広王の元曄(げんよう)を擁立。

530年12月 爾朱栄集団が孝荘帝を殺害。

531年2月 前廃帝を擁立。

531年6月 爾朱栄の部下、高歓が挙兵。

531年10月 高歓が後廃帝を擁立。

532年閏月 高歓が爾朱栄集団を韓陵で撃破。

532年4月 高歓が出帝を擁立。

533年1月 高歓が赤洪嶺で爾朱兆を撃破。魁斯椿の寝返りに会い爾朱氏が滅亡。

534年7月 魁斯椿に脅された出帝が洛陽を出奔して、賀抜勝の部下、宇文泰を頼って長安に逃亡。高歓が孝静帝を擁立。北魏が東西分裂した。

550年 東魏が北斉に易姓革命。

557年 西魏が北周に易姓革命。

このころ南朝の梁は、宇宙大将軍・侯景の乱によって、地獄の沙汰に陥った。今度は、梁から北斉・北周へ知識人が再び亡命することになった。

|

2024年8月 1日 (木)

宝塚歌劇花組「Liefie」をみて

宝塚先生のお誘いで梅田芸術劇場シアタードラマシティに行ってきました。座席は1階やや前方やや下手側の良席でした。一之瀬航季さん、糸月雪羽ちゃんらがご観劇。

Img_9140

女新聞記者アンナ役の真澄ゆかりちゃんがめっちゃ綺麗でした。

少年ヤン役の初音夢ちゃんが、はっちゃけており、アルカンシェルのアコーディオン少年役でブレイクした1期下の湖春ひめ花ちゃんと、いい意味で競って娘役として活躍していってほしい。

ヤンの母親リーン役のみくりんちゃん(三空凛花)は、安定した演技と美貌でオペラオペラ。

フィナーレのダンスは、三空凛花・真澄ゆかり・初音夢のトリオがリード。聖乃あすか・七彩はづきの大階段デュエットダンスで締め。

*新聞社社員

父ジェームス 泉まいら 敏腕記者

 母リーン 三空凛花

 男子ヤン 初音夢

ダーン 聖乃あすか

アンナ 真澄ゆかり ダーンの幼馴染

ピーター 鏡星珠 新人記者

*珈琲店

父ヨハン 一樹千尋

娘ミラ 七彩はづき

 

ダーン(聖乃あすか)♡ ミラ(七彩はづき)

 二人ともコーヒーが飲めず、甘いカカオが好きなのが共通点。

ピーター(鏡星珠)♡ アンナ(真澄ゆかり)

 

舞台はオランダ。真実を報道するという理由で、触れられたくない過去を報道されてしまうのが現実。笑わなくなったミラを慮って、ダーンが新聞記者としてできることはないか悩む。最後に思いついたのが、「あなたにとってLiefie(愛しい人)はどんな人ですか?」と連載取材していくこと。取材相手を楽しくさせるのも新聞記者としての仕事だと言いたかったのかな。

第二幕で、新聞記者に恨みを抱く大工レオ(侑輝大弥)がダーンを殴る。棟梁ハンス(峰果とわ)に諭されて改心。ダーンと和解する。

少年ヤンが、「ぼくって、いい仕事してるでしょ。褒めてもっと褒めて。」と言いながら、二つのカップルのキューピット役を果たしていく。

Img_9138

|

月城かなとさん

月城かなとさんが芸能事務所スターダストプロモーション所属決定、おめでとうございます。貫禄と美貌に加えて、照れるときの表情がかわいいです。これからのご活躍が楽しみです。

|

2024年7月28日 (日)

宝塚歌劇雑感44

星組新人公演主演トップ登竜門を、お京阪の綾音美蘭ちゃんが勝ち取りました。おめでとうございます。元気、ビジュアル、歌、ダンス、芝居の5拍子揃った姉御肌ジェンヌです。月組おはねの足踏みで、104期トップを出さないといけない事情があるようで、男女ともに立候補者が増えてますね。みなさん、美人さん。

104期現役娘役

花組 美羽愛

月組 きよら羽龍

雪組 麻花すわん

星組 綾音美蘭

宙組 楓姫るる

|

2024年7月27日 (土)

宝塚歌劇雪組「ベルサイユのばら;フェルゼン編」(2回目)をみて

午前診を終え、近畿自動車道、中国自動車道を走って、嫁と宝塚大劇場に行ってきました。座席は2階ド真ん中あたり。

Img_9024

観劇後、嫁のベルばら解説。ロザリーとジャンヌが異母姉妹だったことは知りませんでした。夢白あやちゃん、ノーブルなセリフ回しが原作漫画に忠実なマリーアントワネットだという高評価を得ました。仮面舞踏会でオスカルが一度だけ女装するシーンが原作にはあり、池田先生曰く、その時のオスカルのドレスの色は白だったとのこと。フェルゼンへの思いを断ち切るための出で立ちだったそうです。なるほど。オスカルのドレスシーンを観たかったそうです。ジャンヌと言えば、首飾り事件。旦那とグルになってマリーアントワネットに首飾りを売り込むが断られ、枢機卿を利用して王室に首飾りを売り込んだ事件。今回の公演では割愛されました。

大浦みずきさんのフェルゼンのイメージが強い。咲さまも、なつめさんとダブって見えました。

|

2024年7月23日 (火)

2024夏・秋の観劇予定

イベントが盛りだくさんです。

雪組「ベルサイユのばら」

梅芸「Endless SHOCK」 綺咲愛里

松竹座「カルメン」 藤原紀香 ←井高野君が大・大ファン

星組「記憶ござ」「ティアラ・アスール」 詩ちづる・藍羽ひより

CJPO「七色いんこ」 有沙瞳

梅芸「モーツァルト!」 真彩希帆

オリックス「9 to 5」 和希そら ←嫁が大・大ファン

大阪劇団四季「ウィキッド」

 

月組「琥珀」白河りりと月組「ブラフ」花妃舞音は落選。

今月末からチケット争奪戦に臨むのは、

花組「エンライ」「ジュビリー」

芸文「ファンレター」 木下晴香

月組「ゴルリバ」「フェニライ」

美園さくら「デスホリ」

|

2024年7月21日 (日)

NHK大河「光る君へ」をみて28

1000年(長保2)

定子と彰子 一帝二后。

*道長に将来を約された行成(蔵人頭995~1001)、一条天皇に心にもないことを奏上。

*立后式、幼い少女を囲んで大の大人たちがへりくだる異様な光景。

道長、明子邸(高松殿)にて心房細動で失神。

*倫子と明子の嫌味ある会話バチバチ。道長、明子の手を紫式部の手と夢見て目覚める。

紫式部と道長の女子・賢子出生。宣孝、道長に取り入り自らの出世に利用。

定子、内親王出産後に死去。六波羅蜜寺から鳥辺野陵へ葬送。

|

«OSK日本歌劇団「レビュー in Kyoto」をみて