2026年8月18日 (火)

ヴァイキングの感想

英国は300年間に、元寇100~200回あったと思ってもらっていい。たった2回で大騒ぎする日本と雲泥の差を感じる。川をボートが急速に駆け上がっていく。お布施たっぷり、聖書殺人禁止で丸腰無抵抗の修道僧たちをまず襲う。坊さんが、異教徒は人間やないし、まあいいっか、武装してたっぷりの財宝を隠してくると次は民家を襲う。毎冬、寒い北海を行ったり来たりめんどくさくなると、近所に集落を組んで、年がら年中襲撃を繰り返す。このノリで聖遺物ほしさにエルサレム十字軍へ突入。

ヴァイキングとは、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク3国による北海制海権・大陸橋頭堡争奪戦争だ。さすが商人の国、関税問題が絡む。

(注)教会はお布施をローマに上納しないといけないが、修道院は全部自分の財産になる。ローマは教会を通じて諜報活動ができるので、メロヴィング朝国王は教会を嫌って、修道院と付き合いたがる。カロリング朝国王は、アリウス派のランゴバルトにおびえる教会にヨイショされて、教会と付き合い始める。教会は南イタリアにて舐めてかかってしまったノルマンの反撃に懲りて仲良くし始める。

(注)ヴァイキング船は水の侵入を防ぐためタールを塗っていた。よってぜったい火気厳禁。温かい料理は上陸してからのお楽しみ。船内に飛び越えてくる水しぶきで、不潔な排泄物が流され、疫病の船内集団感染が予防できた。

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2026年8月15日 (土)

中世アイルランド、中世イングランド、中世スコットランド、中世ウェールズ

ヨーロッパは大部分、ローマによって支配された。イングランド、ブリタニアもローマによって支配されたが、ローマの支配は非常に短かった。ライン下流、ユトランド半島に住む、ウーデンの教えを奉じる異教徒が5世紀後半に、ブリタニアに移住。そこで、ローマが残しておいたキリスト教に遭遇して、キリスト教化されていった。

450年ころ、アングロ・サクソン人が来襲。原住民ブリトン人はウェールズやアイルランドに逃亡し、キリスト教もイングランドには残らなかった。だから、6~7世紀、アイルランドが一番文化水準が高かった。6~8世紀、他のヨーロッパはローマ人の言うバーバリアンが侵略してきて、バーバライゼーションが進行しており、ヨーロッパの中で被害を受けていない唯一の島がアイルランドだった。だから、当時、アイルランドの文化水準が高かった。カール大帝がカロリング・ルネサンスを起こしたときの学者は大部分、アイルランドと北イングランド出身だった。8~9世紀のアイルランドは、「聖人と学僧の島」としてヨーロッパじゅうに知られ、尊敬を集めた。

540~550年、聖デイヴィッドがウェールズをキリスト教に改宗した。

スコットランドのアイオナ島に、アイルランドの聖コルンバがアイオナ修道院を設立。563年、アングロ・サクソン人がそこではじめてキリスト教と出会った。アイオナ島がピクト人布教の拠点になった。聖ケンティゲルンは、スコットランドのグラスゴー司教に就任。聖ブリジッドは、アイルランドのキルデアに女子修道院を創設した。

5世紀後半、聖デュヴリグは、ウェールズのヘンソン・モクロスに修道院創設。ブルターニュ人の聖イルティッドは、シャニルティッド・ヴァウル修道院を創設。

597年、ローマ教皇グレゴリウス1世(590~604)の命を受け、ベネディクト派の聖オーガスティン(アウグスティヌス)がアイリッシュ・キリスト教ではない、本物のカトリック教を布教するため、ドーヴァー海峡を渡ってケントに来訪。ケント王国エゼルベルト王の許可を得て、初代カンタベリー大司教に就任。ブリタニアのキリスト教は、アイリッシュかカトリックか、2つの流派となったが、大部分はウーデンの教えを信奉していた状況。

663年、ノーザンブリア王国オスウィ王の主催、ホイットビー宗教会議で、ローマ・カトリックを採用することに決定。

668年、タルソスのテオドルスがケントに来訪、カンタベリー大司教(668~690)に就任した。7世紀、東ローマのビザンツ教会が優勢になっており、バルカン半島のゲルマン人をキリスト教に改宗させていた。また、ギリシア人のキリル兄弟がスラヴ人をキリスト教に改宗させた。

672年、ハーフォード宗教会議で、テオドルスが司教区を6つから14に増やした。

734年、ノーザンブリア王国に、ヨーク大司教を設置。ノーザンブリアは政教一致していたのでキリスト教布教がスムーズだった。サウザンブリアは小国に分裂していて、カンタベリー大司教の管区になっていた。ローマ教皇グレゴリウス1世の構想では、ヨークとコンチェスター(のちにロンドン)に大司教管区を置いて、12人の司教を作るはずだった。カンタベリーのあるケント、ロンドンのあるミドルセックス、ウィンチェスターのあるウェセックス王国が、ロンドンを取り合っており、そんな危ないロンドンにカンタベリー大司教は近づけなかった。しかし、カンタベリー大司教は、宗教会議だけはロンドンで開催した。

7世紀末ころから、マーシア王国が強大になり、オッファ王、ケンウルフ王で最盛期を迎えた。オッファ王もケンウルフ王もカンタベリー大司教が開催する宗教会議に参加した。キリスト教が目的というより、ケント王国やウェセックス王国にマウントをとるためだった。カンタベリー大司教も自分の領地、財産の保全のために、マーシア王国に接近。

マーシア王国が統一するかと思ったら、急速に衰退し、825年、ウェセックス王国エグバート王がマーシア王国を撃破。さらに、829年、ノーサンブリア王国も撃破。その孫アルフレッド王(871~899)のとき、ヴァイキングが来襲し、教会や修道院は荒廃した。ウェセックスの国王は宗教会議に出なくても、ケント、エセックス、マーシア、ノーサンブリアを十分制圧できるという環境が整った。エゼルスタン王(924~939)のときから、逆にヨーク大司教とカンタベリー大司教をウェセックス国王評議会に出席させるまでになった。

910年、クリュニー修道院のクリュニー改革が起こり、イングランド王国エドガー王のとき、戒律をよく守る修道士に、修道院や教会内局の運営を依頼するようになった。さらに王は修道士に、王妃は尼僧に、1日7回祈祷してもらっていた。エドガー王は、マーシア地方の支配を確実にするため、マーシア地方の修道院に息のかかった人物を送り込んだ。

10世紀末、「神の平和運動」が南フランスに起こり、中部フランス・ポワティエまで波及した。フランスでは、王が頼りなく、貴族がオールマイティだったが貴族同士が喧嘩していた。しかし、イギリスには強大なエドガー王による「王の平和」があった。イギリスでは、貴族はオールマイティではない。王がオールマイティだった。貴族は王の言うことを気にしなければならず、王の逆鱗に触れると潰されてしまう。ドイツでは、王などいないのも同然で、貴族がオールマイティだった。ヴェルフェン家とかシュタウフェン家といった家門が強力だった。

その後、デーン人クヌート王が来襲。ウルフスタン、ヨーク大司教と示談。ノルマンディ公ウィリアムは、修道士ヴォルピアーノをディジョンからフェキャンに招来して「ノルマンディ公の平和」を現出していた。同じやり方をイングランドに持ち込んで、「イングランド王の平和」を現出した。

ヘンリ2世のとき、大司教以下、司教たちを国王の臣下にしようとした。ローマ教皇の言うことを聞かず、国王の言うことを聞かせた。1170年、カンタベリー大司教トマス・ベケットを殺害。1172年、アヴランシュ協定。1122年のウォルムス協定に倣い、国家は領地支配権を持ち、教会は司牧権を持つとした。グレゴリウス改革により、すべての教会をローマ教会の傘下に入れて、十分の一税の税収を全部ローマが吸い上げた。

 

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アイルランド

北西 コノート  北東 アルスター

南西 マンスター 南東 レンスター

74~84年 ローマ将軍アグリコラがスコットランド遠征。

82年 ローマ将軍アグリコラがアイルランド侵入。

122年 ハドリアヌス帝がハドリアヌスの防壁を建設。

300年ころ ローマ文化浸透により農業技術が進展。鉄製の梨刀を木製の鋤に装着。ほかに刃物、斧、鋸、ハチの巣型の碾臼が導入された。

367年 アイルランド人がローマ支配下のブリタニアを襲撃。

397年 ブリトン人の聖ニニアンがスコットランドのロスナット(現ホイントホーン)にカンディダ・カーサ修道院を創設。

5世紀初め、ブリトン人がコーンウォールからブルターニュへ移住。

432年 ローマ教皇ケレスティヌス1世(422~432)の命で、聖パトリックがアイルランドで布教開始。

450年ころ、アルスターのエマン・マハ王国が、コノートのニール王子に滅ぼされ、オニール王朝が樹立。オニール王家の領主たちは、「タラ王」と自称。

498年、アイルランドのスコット人がスコットランド西部に上陸して、ダルリアダ王国を建国。

6世紀ころ、ピクト人がスコットランド北部にアルバ王国を建国。

5世紀末~6世紀初頭以降、司教制度が廃止され、ローマと切り離された修道院制度が始まった。

6世紀から、クロナードの聖フィニアンは、アゴール修道院とクロナード修道院を創設し、アイルランドの修道院制度を確立・発展させた。聖キアランはクロンマクノイス修道院を創設した。聖ブレンダンはクロンファート修道院を創設。聖コムガルはバンゴールとタイリー島に修道院創設。聖コルンバヌスはヨーロッパを行脚して修道院を創設した。聖エイダンは、ブリテンのリンディスファーン修道院を創設してアイオナ修道院系の学問の中心として発展させた。聖ケヴィンはグレンダロッホ修道院を創設。聖ゴールは大陸を行脚し、聖エンダはアラン諸島イニシュモア島にキリーニー修道院を創設。聖フィンバーはコークに修道院を創設。

やがて、修道院が世俗にまみれて、腐敗堕落した。774年、タラ修道院マール・ルアンは「ケーリ・デー(神の僕)」運動を開始して、禁欲的な修道院生活にもどろうとした。

8世紀末、ノルウェー人を主体としたヴァイキングがアイルランドに来襲。修道院は無抵抗で財宝を抱えていたので、この上ない御馳走だった。

9世紀初めころ、ヴァイキング来襲に対し、修道院は石造の円塔を建設した。「高十字架(ハイクロス)」と呼ばれるケルト十字架が特徴。

830年代から、ヴァイキング侵攻が激しくなった。

870年代には、ヴァイキングはイングランドに矛先を変え、アイルランドから遠ざかっていった。

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イングランド七王国(ヘプターキ)

1 ケント王国 ジュート人建国

ブリトン人ヴォーティガンが、北方のスコット人、ピクト人に対抗するため、ジュート人ヘンギスト・ホルサ兄弟を傭兵とした。

フランク王国から、ぶどう酒・ガラス器・装飾品・黄金を輸入し、フランク王国へ、ウール・鉱物・奴隷を輸出した。

エオルメンリク王

メロヴィング朝フランク王国の王族?貴族?

エゼルベルト王(589~616)

フランク王国カリベルト1世の娘・ベルタ王女と結婚。

強勢だったウェセックス王国ケアウリン王(581~588)・息子クッサと戦った。

アングロサクソン語で書かれた成文法「エゼルベルト法典」を編纂した。

メロヴィング朝フランク王国を真似て、金貨を鋳造した。

597年、ローマ教皇グレゴリウス1世(590~604)の命を受け、ベネディクト派の聖オーガスティン(アウグスティヌス)がアイリッシュ・キリスト教ではない、本物のカトリック教を布教するため、ドーヴァー海峡を渡ってケントに来訪。エゼルベルト王がキリスト教に改宗。

エセックス王国スレッド王に妹を輿入れ、子供のサベルト王を操り、キリスト教に改宗させた。

イーストアングリア王国レドワルド王をキリスト教に改宗させた。

エアドバルド王(616~640)

キリスト教を弾圧したが、カンタベリー大司教ラウレンティウスの尽力で改宗。

フロスヘレ王(673~685)が、サセックス王国の援軍を得た甥のエアドリック王(685~687)に敗死。

686年、ウェセックス王国カドワラ王(686~688)がケント王国を侵略して荒廃させた。ムサを擁立してケント王国を支配したが、すぐに火刑に処せられた。

ウィトレッド王(690~725)

ウェセックス王国と和約。「ウィトレッド法典」を編纂し、教会を免税した。

マーシア王国オファ王が、エセックス王国、サセックス王国、ケント王国の宗主国に収まった。

776年、オットフォードの戦い

マーシア王国オファ王(757~796) vs ケント王国エグバート2世(764~785)

798年、マーシア王国ケンウルフ王(796~821)がケント王国を征服。

825年、エレンダンの戦い

ウェセックス王国エグバート王(802~839) 勝ち

vs マーシア王国ベオルンウルフ王(823~826) 負け

ウェセックス王国がケント王国を征服。

 

2 イーストアングリア王国 アングロ人建国

レドワルド王

625年、ウェセックス王国キネギルス王(611~642)のワイト島侵攻を阻止。

シグベルト王(630~640)

司教フェリックスとともにキリスト教布教につとめた。

654年、マーシア王国ペンダ王がイーストアングリア王国アンナ王(640~654)を処刑。

794年、マーシア王国オファ王がイーストアングリア王国エゼルベルト王を処刑。

825年、マーシア王国ベオルンウルフ王を撃退。

869年、ヴァイキング大異教徒軍団がエドマンド王(855~869)を処刑し、イーストアングリア王国を滅ぼした。

878年、ヴァイキングのグズルム(878~890)が、デーンロウ王国を建国した。

3 バーニシア王国 アングロ人建国

エゼルフリッド王(597~617)

西方のブリトン人国家を侵攻、さらに南のデイラ王国にも侵攻した。

4 デイラ王国→ノーサンブリア王国 アングロ人建国

エドウィン王(617~633)

625年、ウェセックス王国キネギルス王(611~642)のワイト島侵攻を阻止。

626年、ウェセックス王国クウィケルムが、エドウィン王暗殺未遂。エドウィン王がウェセックス王国を侵攻。

627年、ヨークの教会で、エドウィン王はキリスト教に改宗した。司教パウリヌスをヨークに住まわせた。

ケント王国レドワルド王の死後、エルメット王国を征服。さらにウェールズのグウィネズ王国カドワロン王を侵攻。

633年、ハットフィールド・チェイスの戦いで、敗死。司教パウリヌスはカンタベリー大司教ホノリウスのもとに逃亡、のちケントのロチェスター司教に就任した。

オスワルド王(634~642)

亡命先だったスコット人のダルリアダ王国から帰国。634年、ヘブンフィールド(デニセスブルナ)の戦いで、グウィネズ王国カドワロン王を敗死させ、復讐を果たした。

635年、エドウィン王が請来したローマカトリックではなく、アイオナ島の司祭エイダンを招来し、リンディスファーン島を拠点にアイリッシュ・キリスト教を布教した。

642年、マザーフィールドの戦いで、マーシア王国ペンダ王に敗死。

オスウィ王(642~670)

655年、ウィンウェド川の戦いで、マーシア王国ペンダ王を破り、復讐を果たした。

664年、ウィットビー教会会議。アイリッシュ・キリスト教をやめ、ローマ・カトリック教を採用した。ブリタニアに日食、疫病大流行。

*アイルランド系キリスト教 

修道院を中心として自己修練を図り、研鑽を積んだ修行僧個人が各地に放浪的な布教の旅をする。前頭部を剃髪する。

*ローマ・カトリック教

大司教ー司教ー司祭という教会組織のヒエラルキーを大原則に地域に根付いた布教を行う。頭頂部を剃髪する。

エグフリッド王(670~685)

ピクト人の反乱を鎮圧。司教ウィルフリッドと対立、司教区を小分割し、国外追放した。

679年、トレント川の戦い。カンタベリー大司教セオドアの仲裁で、マーシア王国エゼルレッド1世と和平。国境リンジー地方をマーシア王国に譲渡した。

684年、ベルトに命じ、アイルランド侵攻、ブレガを荒廃させた。

685年、聖人カスバートの反対を振り切って、エグフリッド王自ら、ピクト人侵攻。ネクタンズミアの戦いで、ブリデ3世に敗死。

アルドフリッド王(685~705)

学者王であり、最盛期を迎えた。ベネディクト・ビスコップがウェアマストジャロー修道院を創設し、ローマから大量の書物を貯蔵した。歴史家ベーダがここから巣立った。のちヨーク出身の神学者・アルクィンを輩出した。

エゼルレッド1世(774~779/790~796)

793年、ヴァイキングがリンディスファーン襲撃。

オスベルト王(848~867)

865年、ヴァイキング大異教徒軍団が来襲。866年、ヨーク占領。867年、ノーサンブリア王国アエラ王(867)が敗れて滅亡。

876年、ヴァイキングのハールヴダン(876~877)ヨールヴィーク王国を建国した。

5 レゲド王国 ブリトン人建国

ウリエン王

6世紀後半、バーニシア王国を侵攻。リンディスファーン島に追い詰めた。

6 エルメット王国 ブリトン人建国

7 グウィネズ王国 ウェールズ系ブリトン人建国

カドワロン王(625~634)

ロドリ大王(844~878)ウェールズをほぼ統一

ハウエル善良王(942~950)ウェールズをほぼ統一

マレディズ・アプ・オーワイン王(986~999)ウェールズをほぼ統一

617年、アイドル川の戦い

イーストアングリア王国レドワルド王&デイラ王国エドウィン王(亡命中) 勝ち

vs バーニシア王国エゼルフリッド王 負け

633年、ハットフィールド・チェイスの戦い

マーシア王国ペンダ王&グウィネズ王国カドワロン王(625~634) 勝ち

vs ノーサンブリア王国エドウィン王 負け

634年、ヘブンフィールド(デニセスブルナ)の戦い

グウィネズ王国カドワロン王 負け

vs ノーサンブリア王国オスワルド王 勝ち

642年、マザーフィールドの戦い

マーシア王国ペンダ王&ポウィス王国キンディラン・アプ・キンドルウィン王&グウィネズ王国カドヴァエル・カドメッズ農民王 勝ち

vs ノーサンブリア王国オスワルド王 負け

655年、ウィンウェド川の戦い

マーシア王国ペンダ王&イーストアングリア王国エゼルヘレ王(654~655) 負け

vs ノーサンブリア王国オスウィ王(642~670) 勝ち

679年、トレント川の戦い

ノーサンブリア王国エグフリッド王(670~685)

vs マーシア王国エゼルレッド1世(675~704)

カンタベリー大司教セオドアが仲裁に入った。リンジー地方がマーシア王国に移譲された。

685年、ネクタンズミアの戦い

ノーサンブリア王国エグフリッド王 負け

vs フォルトリウ王(ピクト人)ブリデ3世 勝ち

 

8 サセックス王国 サクソン人建国 アンドレッドの森に囲まれた狭き秘境。とても貧乏。

エゼルウェルホ王

マーシア王国ウルフヘレ王(658~675)の後見で、キリスト教の洗礼を受け、ワイド島とメオンワラを譲渡された。

司教ウィルフリッドを厚遇した。

ウェセックス王国カドワラ王がエゼルウェルホ王を殺害。

9 エセックス王国 サクソン人建国 大陸貿易が盛んで裕福。

サベルト王(604~617)

604年、司教メリトゥスがケント王国からエセックス王国に送られ、ロンドンで布教開始。ケント王国エゼルベルト王が、サベルト王をキリスト教に改宗させた。

シゲベルト善良王(653~660)

653年、ノーサンブリア王国オスウィ王が、シゲベルト善良王をキリスト教に改宗させた。司祭ケッドがエセックス王国を来訪、ブラッドウェルとティルベリーに修道院を創設。

スウィズヘルム王(660~664)

660年、イーストアングリア王国エゼルワアルド王(655~663)がスウィズヘルム王をキリスト教に改宗させた。

664年、ブリタニアに日食、疫病大流行。マーシア王国ウルフヘレ王(658~675)が司教イェルマンをエセックス王国に送り込んだ。

マーシア王国は、ロンドンを支配し、貨幣を発行し、関税を徴収した。

シゲリック王(758~798)

王位を棄ててローマの修道院に出家した。

 

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10 マーシア王国 アングロ人建国

初期マーシアは、まだ1人の王に統治されるような国の状態ではなく、複数の自立勢力が連合したような形であった。ペンダを首長とするグループと、ケオルルを首長とするグループの、少なくとも2つ以上のグループがあって、負けたグループの一部が大陸に亡命した。

メロヴィング朝フランク宮宰にしてカロリング朝フランク簒奪王となったピピニーデン(ピピン一門)。「ピピン」「カール」はヨーロッパ大陸に見られないケルト語由来の苗字。

ピッバ→ピピン 

ケオルル→カール

この類似性から考えると、マーシア王族の一部が大陸に亡命して、メロヴィング王家によって宮宰に取り立てられたと考えられる。

マーシア王国オファ王からみて、カール大帝は大陸に逃げていった親類にすぎないわけで、お互いにプライドを賭けてマウントを取り合う気持ちが容易に理解できるだろう。

ヨーロッパを語るうえで、一次史料不足でゴミのように扱われた中世アイルランド、中世イングランド、中世スコットランド、中世ウェールズの歴史から語られなければ、中世フランクをはじめとする深い理解には至らない。ヨーロッパ中央は東方から襲来する蛮族に蹂躙・荒廃されており、南のイタリア・ギリシアから、北のブリタニア・アイルランドから、西のイベリアから、忘れられていた文明がヨーロッパ中央に再び注ぎ込まれていった。

マーシア王国は、東西南北を敵に囲まれており、防衛に難があった。国の面積は最大だったが、海にほとんど面していないので、良好な湾や港もなく、テムズ川やハンバー川のような水運に適した河川にも恵まれておらず、人や物の往来にハンディキャップを背負っていた。何事にも最新の流行に後れを取ってしまい、キリスト教への改宗も七王国で最後であった。ブリテン島に侵攻したアングロサクソン人が、早いもの順でおいしい場所をとって王国を建て、最後に残った広いけれども旨味のない広大な土地にできたのがマーシア王国だった。

ペンダ王

633年、ハットフィールド・チェイスの戦い。ノーサンブリア王国エドウィン王を敗死。

640年、イーストアングリア王国エグリック王とシグベルト王を敗死。

642年、マザーフィールドの戦い。ノーサンブリア王国オスワルド王を敗死。

グウィネズ王国カドヴァエル・カドメッズ農民王と、ポウィス王国キンディラン・アプ・キンドルウィン王の援軍を得てやっと勝った。

ノーサンブリア王国は再び2分裂。

バーニシア王国オスウィ王(642~670) 劣勢になるとダルリアダ王国に亡命した。

デイラ王国エゼルワルド王(650~655) 8~9年ほど空位だった。

645年、妹を離縁されたため、ウェセックス王国ケンワルフ王(642~673)を侵攻。ケンワルフ王はイーストアングリア王国アンナ王(640~654)のもとに亡命。

651年、ノーサンブリア王国侵攻。

652~654年、ノーサンブリア王国侵攻。

654年、イーストアングリア王国アンナ王を敗死。傀儡王エゼルヘレを擁立。

655年、ウィンウェド川の戦い。息子エグフリッドを人質に差し出し多額の金貨を支払う代わりに撤退を約束することでバーニシア王国オスウィ王が承諾。息子アルドフリッドとともにオスウィ王は、ペンダ王を背後から襲撃して敗死させた。

マーシア王国ペンダ王

&イーストアングリア王国エゼルヘレ王

&グウィネズ王国カダファエル・アプ・キンフェズ王

&デイラ王国エゼルワルド王

vs バーニシア王国オスウィ王 計略がはまって大勝利

オッファ王(757~796)

「アングル人の王」と自称した。ロンドンでペニー銀貨を鋳造した。

カンタベリー大司教ジャンベルトが管轄する教会施設所有権を奪い、献金をやめ、代わりにローマ教皇へマンクス金貨を献納した。

マーシアとウェールズの国境に、「オッファの防塁」を建設した。

ミッドランドのフウィッケ王国、ミドルアングリアのリンジィ王国、ロンドンを含むエセックス王国を併合した。

764年、ケント王国エアルフモンド王(762~764)を侵攻して廃位、傀儡王エグバート2世(764~785)を擁立。

771年、支配下のケント王国を通過して、サセックス王国を征服。

776年、オットフォードの戦い

マーシア王国オッファ王(757~796) 勝ち

vs ケント王国エグバート2世(764~785) 負け

778年、ウェールズ侵攻。

779年、ベンシングトンの戦い

マーシア王国オッファ王 勝ち

vs ウェセックス王国キネウルフ王(757~786) 負け

784年、ウェールズ侵攻。

786年、ウェセックス王国キネウルフ王が暗殺されると、傀儡王べオルフトリック(786~802)を擁立。正当な王位継承者エグバートは、フランク王国カール大帝のもとに亡命した。

786年、ローマ教皇ハドリアヌス1世が教皇庁使節団をオッファ王に派遣。

787年、チェルシー教会会議。新たにリッチフィールド大司教区が創設された。

794年、ペニー銀貨を偽造した罪でイーストアングリア王国エゼルベルト王を斬首。

 

11 ウェセックス王国 サクソン人建国

エグバート王(802~839)

傀儡王ベオルフトリックが、オッファ王の妹エアドブルフ王妃によって毒殺。その後、カール大帝のもとに亡命。エグバートが交代でカール大帝の亡命先からウェセックス王国に帰還。814年、カール大帝死去。フランク王を後継したルイ1世が、全面的にエグバート王を支援した。しかし830年、フランク王国分割相続を巡り内乱になると、エグバート王への支援金が途絶えた。

823年、ガルフォードの戦い ブリトン人のドゥムノニア王国を撃破。

825年、エレンダンの戦い マーシア王国ベオルンウルフ王(823~826)を撃破。

エグバート王の息子エゼルウルフが、ケント王国ベアルドレッド王(823~825)を撃破。サリー王国、サセックス王国、エセックス王国が降伏。

826年、イーストアングリアに侵攻してきたマーシア王国ベオルンウルフ王(823~826)が敗死。

827年、イーストアングリアに侵攻してきたマーシア王国ルデッカ王(826~827)が敗死。

829年、エグバート王が、マーシア王国ウィグラフ王(827~840)を国外追放、マーシア王に即位。

さらに、エグバート王は、ノーサンブリア王国エアンレッド王(808~840)を侵攻・掠奪。多額の貢納金で和平。

830年、エグバート王がウェールズ遠征。マーシア王国ウィグラフ王が復位。

836年、カーハンプトンの戦い。デーン人がコンウォール来襲し、エグバート王が大敗。

838年、ヒングストン・ダウンの戦い。デーン人がブリトン人と組んでコンウォール来襲し、エグバート王が大勝。

エゼルウルフ王(839~855)

851年 アクリアフの戦い。デーン人が来襲し、エゼルウルフ王と次男エゼルバルドが撃退。デーン人がケントのサネット島で越冬。

*デーン人の目的が、単なる略奪から、イングランドの地の占拠・定住に変わってきた。

853年、4男アルフレッドを連れて、西フランク王国シャルル2世禿頭王を訪問。

エゼルバルド王(855~860)

エゼルベルト王(860~866)

エゼルレッド王(866~871)

867年、骨なしのイーヴァル率いる大異教徒軍団がノーサンブリア王国ヨークを占領し、アエラ王を処刑、868年、マーシア王国バーグレッド王(852~874)が完敗で、ノッティンガム占領。バーグレッド王がウェセックス王に応援を求め、エゼルレッド王と副将アルフレッドが駆けつけるも敵はすでに退却。869年、骨なしのイーヴァルは、イーストアングリア王国エドモンド王を殺害し、征服。870年、骨なしのイーヴァルは、レディングを制圧し、ウェセックス侵攻の基地とした。

871年、レディングの戦い。ウェセックス軍敗北。

871年、アッシュダウンの戦い。ウェセックス軍大勝。

871年、ベイシングの戦い。ウェセックス軍敗北。

871年、マートンの戦い。ウェセックス軍敗北、エゼルレッド王敗死。

アルフレッド大王(871~899)

871年、ウィルトンの戦い。ウェセックス軍敗北。貢納金を払い、大異教徒軍団はロンドンへ移動。872年、マーシア王国に矛先を変えて、レプトン占領。マーシア王国バーグレッド王(852~874)を国外追放し、873年、マーシア全土を占領した。

ここで大異教徒軍団が二つに分裂。

1 首領ハールヴダン。ノーサンブリアに戻り定住。

2 首領グスルム。875年、再びウェセックスを侵攻。ウェアハムを占領したが、アルフレッド大王がエクセターに押し戻した。貢納金を払い、さらにマーシアのグロスターに押し戻した。デーン人は、マーシア東部の五市地方(リンカン、レスター、ノッティンガム、スタンフォード、ダービィ)で定住。878年、ウェセックスを電撃襲撃。チッペナムに居たアルフレッド大王は何とかアセルニー湿地帯に逃亡。

878年、エディントンの戦い。「盾の壁」密集歩兵を用いて、アルフレッド大王がデーン軍を撃破。チッペナムに籠ったグスルムを包囲して、ウェドモア条約を締結。グスルムはウェセックスから恒久的に撤兵し、アルフレッド大王の手でキリスト教の洗礼を受けた。

エドワード長兄王(899~924)

910年、テテンホールの戦い

ウェセックス王国エドワード長兄王 勝ち

vs デーンロウ王国エオフリック王 負け

 

12 イングランド王国

アゼルスタン王(924~939)

927年、ヨールヴィーク王国を滅ぼし、「イングランド王」と称した。

937年、ブルナンブルフの戦い

イングランド王国アゼルスタン王 勝ち

vs デーンロウ王国エオフリック王 負け

 

エドモンド1世(939~946)

エアドレッド王(946~955)

エドウィ(955~959)

エドガー平和王(959~975)

エドワード殉教王(975~978)

 

*ノルウェー人ロロがパリ周辺を掠奪。西フランク王シャルル3世単純王は、911年、ロロにノルマンディを封土として与え、掠奪しないようになだめた。

エゼルレッド2世無策王(978~1013/1014~1016)

ノルマンディ公国の港が、デーン人イングランド襲撃のための補給港になっていた。

980年、デーン軍がサザンプトン、サネット、チェシャー来襲。

981年、デーン軍がデボン、コンウォール来襲。

982年、デーン軍がドーセット来襲。

988年、デボン従士(セイン)ゴーダがデーン軍によって戦死。

991年、モルドンの戦い

エセックス伯(エアルドルマン/エアルル)ビュルフトノース 負け

vs デーン軍・ノルウェー王オラーフ・トリグヴァソン(995~1000) 勝ち

991年、エゼルレッド2世無策王は、ノルマンディ公リシャール1世豪胆公(942~996)に対し、デーン人の寄港を許可しないように要請した。ローマ教皇ヨハネス15世(985~996)が、両国の調停に乗り出し、ルーアン協定が締結された。

1002年、エゼルレッド2世無策王と、ノルマンディ公リシャール2世善良公の妹エマが政略結婚。

1002年、聖プライスの日の虐殺。イングランドに住むすべてのデーン人を殺すように命じた。デンマーク王スヴェン1世(986~1014)の妹グンヒルドが処刑された。

1004年、デンマーク王スヴェン1世が来襲。イーストアングリア伯(エアルドルマン)ウルフケテルがこれを撃退。

1006年、スヴェン1世が来襲。デーンゲルド(貢納金)を受け取ると帰還。

1009年、対デーン大艦隊をサンドウィッチ港に待機させた。

サセックス従士ウルフノースと、マーシア伯エアドリックが対立。エアドリックがウルフノースを裁判に訴えると、ウルフノースは艦隊を率いて逃亡。追撃したエアドリック率いる艦隊が座礁し、ウルフノースが火をかけ焼き尽くした。

1009~1012年、スヴェン1世が来襲。傭兵のヴァイキングをジョムズヴァイキングと称する。ジョムズヴァイキングの首領ソーケルとヘミングがデーン軍を率いていた。1010年、リングメレの戦いで、デーン軍がウルフケテルを破るも、ロンドン占拠に失敗し、ケントを掠奪した。カンタベリー大司教エルフヘアフを人質に獲ったが、拒否・処刑。エルフヘアフに感じ入ったソーケルが、イングランド側に寝返った。

1013年、スヴェン1世が来襲、ロンドンを陥落させ、イングランド国王に即位。エゼルレッド2世無策王はノルマンディ公国に亡命。

1014年、スヴェン1世急死。エゼルレッド2世が復位。スヴェン1世の次男クヌートを逃がすため、ヘミング戦死。ソーケルが再び、デーン側に寝返った。

1016年、スヴェン1世の長男ハーラルはデンマーク王ハーラル2世に即位。次男クヌートがイングランドに来襲。

クヌート大王(1016~1035)&マーシア伯エアドリック&ソーケル

vs エドモンド2世剛勇王(1016)&エセックス伯ビュルフトノース&イーストアングリア伯ウルフケテル

1016年、ブレントフォードの戦い。エドモンド2世が勝利。

1016年、オトフォードの戦い。クヌート大王が勝利。

1016年、アシンドンの戦い。イングランド側に寝返ったマーシア伯エアドリックが敵前逃亡。クヌート大王が勝利。休戦協定で、負けたエドモンド2世をウェセックス王に据えたが、病死。クヌート大王がイングランド国王に即位。エドモンド2世剛勇王の息子たちエドワードとエドモンドを殺してくれるよう、スウェーデン王オローフ・シェートコヌングに引き渡したが、クヌートの手が届かないハンガリー王イシュトバーン1世が厚く庇護した。エゼルレッド2世無策王の息子エアドウィックを殺害した。エゼルレッド2世無策王の息子エドワードとアルフレッドは、ノルマンディ公の庇護下で健在で、気がかりだった。

クヌート大王は4伯領を設置。

ウェセックス伯

マーシア伯

イーストアングリア伯

ノーサンブリア伯

ウルフノース⇒ゴドウィン⇒ハロルド 3代にわたる大出世街道

ウルフノース サセックス従士(~1014)

ゴドウィン ウェセックス東部伯(1018~1020)

      ウェセックス伯(1020~1053)

ハロルド イーストアングリア伯(1052~1053)

     ウェセックス伯(1053~1066)

     イングランド王ハロルド2世(1066.1.5~10.14)

1018年、デンマーク王ハーラル2世死去。クヌート大王がデンマーク王を兼任。

*北海帝国の争い ノルウェー王がスウェーデン王と組んで、デンマーク王を引きずり下ろしたい

デンマーク王 クヌート1世(大王) 1018~1035

ノルウェー王 オラーフ2世(オラーフ・ハロルドソン) 1015~1028

スウェーデン王 アヌンド・ヤコブ 1022~1050

1028年、イングランド・デンマーク連合艦隊が、ノルウェー・スウェーデン連合艦隊を撃破。ノルウェー王オラーフ2世を国外追放した。クヌート大王がノルウェー王も兼任した。

1029年、クヌート大王が艦隊を率いてイングランド凱旋。

1030年、ノルウェーに帰国したオラーフ2世を、ノルウェー農民たちが殺害。

 

13 ノルマンディ公国

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2026年8月11日 (火)

ソフトバンクホークス2026 M32

モイネロ、おかえりなさいませ。とても助かります。ロッテに16-2で圧勝。

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2026年8月 9日 (日)

ソフトバンクホークス2026 M33

前田悠伍選手、ナイスピッチング。7月8日、京セラ1塁席(OR)で関目君と観戦したオリックス戦では、宗と紅林の逆転打で勝ちを逃しましたが、開幕10連勝おめでとうございます。優勝を控えた9月16日、京セラ3塁席(SB)で、井高野君とオリックス戦を観戦しますので、ストライクゾーンにバンバン投げ込んで三振を取る前田選手の活躍が楽しみ。

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2026年7月29日 (水)

た藁やで関目君と飲み会1

関目君が来訪、オープン間もない居酒屋で飲んだ。カツオのたたきがとてもおいしかった。白河りりちゃんトップレースを談義していて、競馬と同じだと判明した。関目君は、単勝と複勝を買い、1番推しの馬をゴールまで目で追っかける方式。わたしは、武豊を含む枠連を買い、1番推しの馬を追っかけ、3コーナー辺りで負けそうなら2番推しの馬を追っかける方式。わたしが今まで勝ったのは、詩ちづるちゃんだけ。さて我々が推す軸馬が勝てるかどうか。10月か11月には合格発表されるはず。その前に9月の芸文で、おだりりプレプレお披露目紅一点公演をゲットしなければならないが、ことごとく先行抽選が落選しており、今月末、井高野君の先着順チケットゲットの健闘にかかっている。

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2026年7月24日 (金)

宝塚歌劇雪組「ポーの一族」の別バージョンキャスト

ポーの別バージョンキャストを専科さんなしで妄想してみた。

エドガー 朝美絢

メリーベル 音彩唯

フランク 瀬央ゆりあ

シーラ 白綺華

アラン 華世京

マーゴット 麻花すわん

クリフォード 縣千

ジェイン 華純沙那

ディリー 星沢ありさ

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2026年7月21日 (火)

帝政ローマのガリア統治

帝政ローマ期、ヨーロッパ中央に住む鉄器文明人、ケルト民族が不意打ちでローマ帝国領内に侵入していた。とくに黒海やカスピ海周辺で五賢帝あたりまで続く。トイトブルク森の敗戦で、ドイツ・ゲルマン民族の国境警備は困難を極めた。ゲルマンとケルトを同時に撃退はできない。そこでフランス方面のガリアに住むケルト民族をまずは制圧にかかる。

人身供犠(じんしんくぎ)を風習とした野蛮なケルト民族支配層をドルイドと呼んだ。アウグスティヌス帝、ティベリウス帝、クラウディウス帝の三代はドルイドを徹底的に弾圧。初期キリスト教は律法を遵守する生活共同体=ユダヤ教ナザレ派とみなされ、当初、捨て置かれていた。ユダヤ人ナザレ派は律法を守っても、ギリシア人ナザレ派は律法なんて守らない。なにそれおいしいの?イエスあるのみ。ローマの神々に供物をささげるだけで許された。仲間内から、「棄教者」と蔑まれたが。ユダヤ人がケルト民族なきあと、ガリア方面に入り込んできた。

シリア商人が、シリアの高度に発達した工業をバックに、絹・羊毛・リネンといった高級繊維品、靴など皮革製品、ガラス製品・模造宝石をローマにもたらした。その活動範囲はローマまでで、ローマからガリアにはガリア商人がもたらした。

ところが、3世紀以来、次第に下降線をたどりつつあったガリアの経済生活は困難を極め、匪賊が横行し、工業は消滅し、商業活動が見られなくなった。都市は荒廃衰微し、都市生活から田園生活へもどり、自給自足経済に退歩した。4世紀後半のゲルマン民族侵入を最底辺とし、5世紀になるとシリア商人やユダヤ商人がガリアになだれ込んだ。東ローマ帝国が厳重な統制経済と重税を課したため、有利な市場でなくなったこともあり、西のゲルマン民族が打ち立てた諸国家で、自由な商業活動を展開できた。ゲルマン王にとって、シリア商人やユダヤ商人は必須の金融機関であり、経済政策の顧問だった。

フランク王国の大都市にシリア商人の大きな居留地が出現。ゲルマン民族がオリーブ樹木を切り倒し、ブドウ畑を荒らしたため、ガリアの名産だったぶどう酒とオリーブ油が衰退し、シリア産、とくにガザ・サレプタ・アスカロンのぶどう酒が珍重・輸入された。ぜいたく品だった絹織物も普及し、清貧を説く聖ヒエロニムスを嘆かせた。さらにシリア商人は、シリア方面で死んだ聖人たちの聖遺物をたくさん販売した。聖人や殉教者に乏しいガリアのフランク人は、シリア方面の聖人の遺骨や聖遺物を珍重し、多額の資金を注ぎ込んで購入し、聖遺物を得た聖人に聖堂を建設して崇め奉った。

7世紀、ササン朝ペルシアが東ローマ帝国領シリアを征服、荒廃させたため、シリア人やギリシア人が大量にフランク王国に亡命。ギリシア語や一般教養が非常に深かったため、ギリシア人の教皇や、シリア人の教皇が輩出されるまでに至った。多くのギリシア人やシリア人が、ガリア・フランク王国の修道院長や司教に就任していった。こうしてカロリング・ルネサンスに大きく寄与した。

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2026年7月19日 (日)

宝塚歌劇雪組「ポーの一族」(2回目)をみて

10時半ころ出発、近畿自動車道、中国自動車道を走って、娘家族と宝塚ワシントンホテル集合。娘婿さんと定番ジェラートを食べてから観劇しました。座席は1階下手やや後方の良席でした。今日は、ぴあプレミアム会員限定ではじめて宝塚歌劇公演を開催した日だそうで、ぴあ関係者の挨拶が続き、お祝いムードでした。幕間は、1階立ち飲みコーナーで定番のアイスコーヒーブレイク。

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フィナーレで、あーさと多くの娘役のデュエットダンスのシーン。華純沙那ちゃんは、「ジュテーム!」と叫んでました。娘婿さんは、朝美絢くんと華純沙那ちゃんのファンになってくれました。ただいま王道を歩んでます。ほんとうに雪組は今、最盛期を迎えています。

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2026年7月18日 (土)

宝塚歌劇雪組「ポーの一族」(1回目)をみて

午前診を終え、近畿自動車道、中国自動車道を走って、嫁と宝塚大劇場に行ってきた。座席は1階やや後方上手側。キャトルレーヴで、華純沙那ちゃん、音彩唯ちゃん、妃華ゆきのちゃん、星沢ありさちゃんの四つ切ブロマイド、詩ちづるちゃんの花男写真7枚、あーさハバマイのプログラムを購入。

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美人だらけ雪組女優陣の層の厚さは、筆舌に尽くしがたい。上は妃華ゆきのちゃんから、スッチーの桜菜みのりちゃんまで。トップレベルのベルばら新人公演主演コンビが語り部・進行役につく豪華キャスト。

星沢ありさちゃんは、ちやほや令嬢の役から、いじわる許嫁の役に芸の幅を広げた。

みんな、役作りと歌唱と舞踊と化粧術の基礎力がしっかりできている。轟悠の向こうを張った定評ある星組専科の歌うまさん、せおっちとほのかがしっかり芝居を固めている。

女の汚い部分を余すところなく描く萩尾望都の作品。花組より雪組バージョンは、ずっと歌がうまいし、ダンスも上手かった。これを見ずして宝塚を語るなと言いたくなるような最高の出来だった。

フィナーレで、朝美絢(あーさ)が美しい娘役に囲まれて、美しく踊る。なんじゃらほい、鼻血ブーもんやね。あーさの群舞もカッコよかった。なにより、音彩唯ちゃんのタンゴデュエットダンスの立ち姿からして美しい。ひっとん(舞空瞳)並みのキレキレ。

銀橋でのご挨拶のあと、客席に顔を向けて笑みをふりまいて歩くハバマイの自信あふれる姿がとっても美しかった。

嫁の感想、あーさのプロローグで薔薇をもって腰をひねるポーズは原作そのもの、男には表現できないと絶賛だった。

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2026年7月14日 (火)

いま流行っている病気

1 新型コロナウィルス感染症

2 ヘルパンギーナ

3 手足口病

4 ヒトメタニューモウィルス感染症

6月は小中高生中心に、7月は乳幼児中心に、コロナ感染症が増えてきました。

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2026年7月12日 (日)

松竹映画「ここは静かなり」(1956)をみて

昭和24年(1949)、旧制中学校と旧制高等女学校が合併して、男女共学の新制高校が発足した。この映画は、男女高校生が、結婚、妊娠,飲酒を起こし、PTAと新進気鋭の教師が戦うという構図。主演は、タカラジェンヌの有馬稲子さん。はじめて映画を見た。「シャー」「シャン」はドイツ語schön(シェーン)=美人。  適齢期の女性教師にまとわりつく男性教師や歯科医師。ムツゴロウがいたと思われる新制東大の本郷正門や、東京藝大の校舎が銀幕に映りこんでいた。反戦・左翼・ソ連のロシア民謡ブームも反映していて、このあと安保反対、学園紛争を迎えることになる。神戸の楠ケ丘高校が舞台ということで調べたら、神戸市立須磨高校(旧第二高等女学校)の前身。コーラス部は都立八潮高校が担当。都立日比谷、戸山、小石川、新宿、両国、西高校の全盛期だったね。

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2026年7月11日 (土)

月路あゆちゃん

宙組公演「ダイアモンド・インパルス」のエトワール朝絵咲名(あさえさな)ちゃんの向かって左後ろ、ほぼ真後ろに立っているのが、112期の月路(つきじ)あゆちゃん。めっちゃ美人でスタイル抜群で目立ってるよ。ロケットもセンター張っているし、劇団もわかってるみたい。最下級生にして、華がすごい。

千葉県四街道の子か。今後の活躍が楽しみ。

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2026年7月 9日 (木)

関東中世史、九州中世史

呉座勇一先生のわかりやすい座談会を見て、日本史に戻ってきた。中世の畿内政権は、関東、九州を制圧できていないことは知っておかなくてはならない。各々独自の文化が育まれた。古墳・飛鳥時代にも九州に三韓・南朝と交易した倭国、畿内に扶桑国、関東に帰化人国家が成立していた。鎌倉時代、のちの駿府領主・今川氏は渋川氏、菊池氏、少弐氏にとってかわり、旧倭京(大宰府)を一時期治めていたし、九州、畿内、関東の関係は無視できない。その今川氏を揺りかごにして後北条氏が登場する。旧利根川の西を足利氏とその臣下武士団、東を旧鎌倉武士団が治めていた。迷信と捏造の江戸時代、売れりゃそれでいい式の歴史本が流布して、大いに日本史が曲げられたが、最新の研究によって、ほんとうの姿に近づいている。

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2026年7月 8日 (水)

京セラドーム ソフトバンク対オリックス観戦2026

午前診を終え、近鉄快速に乗って京セラドームへ。日中の忙しい営業を終えた関目君と現地集合。私はソフトバンクファン、関目君はオリックスファン。唯一の共通点は、白河りりファンであること。

22:20帰宅。先発の前田、巨人の上原みたいに、ガンガン、ストライクボールを投げ込んでました。

ソフトバンク 2 - 3X オリックス

はい、お杉が宗に打たれてサヨナラ負け。

九里がラグビーボールを用いて登板直前にウォーミングアップ。

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正木 思いっきり振っていた。

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近藤

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ギータ

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前田 ヒットは打たれても要所を締めていた。

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紅林 ホームラン打たれたよー

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2026年7月 6日 (月)

FIFA2026W杯 ノルウェー・ハーランド選手

今朝6時過ぎから民放で、ノルウェー・ブラジル後半戦を観戦。YouTubeで怪物・ハーランド選手の生い立ちと私生活から、英国マンチェスターでの大活躍が紹介されていて、楽しみにしてました。ノルマン・コンケスト再び。サポーターもバイキングスタイルの応援。GKニーランのスーパーセーブの連続で、ゴール前から浮かした球をハーランドがヘッド。0-1になって攻めに転じたブラジル守備陣のハーランド・マークが緩くなって、フリーでゴールキック2点目。ネイマールのPKゴールは、主審のねぎらいかなと思いました。シェルデルップとボブのドリブルはブラジルを圧倒してましたし、ハーランドへの球の捧げものがうまくいきました。今後の活躍が楽しみ。

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2026年7月 4日 (土)

詩ちづるちゃん4

タカラヅカ・スカイ・ステージ開局24周年「ほっとなふたり、とっておきのひととき。」~星組のふたり~を拝見。

ありも、うたちも、トマト嫌いだそうで、本場イタリアンパスタが食べられないのですね。イタリアのトマトはすごくおいしいのに。中辛ありの甘口うたちへの「おぬしはあるトラか?」で絶頂。屈託のない笑い顔とツッコミがさわやかでなごみました。舞台も見やすく聞きやすく素敵な、理想的な仲良しトップコンビ。

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2026年7月 2日 (木)

宝塚歌劇宙組「黒蜥蜴」「Diamond Impulse」(2回目&3回目)をみて

今日はマチネ・ソワレ。渋滞の近畿自動車道、空き空きの中国自動車道を走って、嫁と宝塚大劇場に行ってきました。キャトルレーヴで、春乃さくらちゃんのアクリルスタンド・四つ切ブロマイド・舞台ブロマイド5枚組セット、そして花より男子Ⅱのプログラム冊子を購入した。

マチネ

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ソワレ

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「黒蜥蜴」

大阪中之島Kホテル522号室の場面で、黒蜥蜴が岩瀬早苗に、お見合い男性として雨宮を紹介して、早苗が雨宮に我を忘れて恋をする。

船に乗り込んで、黒蜥蜴のアジト「恐怖美術館」に行ったのは、岩瀬早苗だったのか、桜山葉子だったのか?

雨宮が黒蜥蜴を裏切った罪で、「岩瀬早苗」とともに投獄されたとき、岩瀬早苗が雨宮に愛を告白。貧乏上がりで黒蜥蜴に拾われて育った雨宮が、「ぼくは金持ちは大嫌いだ。」と早苗をふる。すると早苗が、「わたしは貧乏上がりの桜山葉子という別人の身代わりなの。だからわたしと恋ができるわ。」「なんならこの獄中から、自分が早苗でないと叫びましょうか?」

「よくって?」

さあ、ここが問題。もうズベ公であることを告白した後だから、本当の桜山葉子の発言にしては、この令嬢言葉はおかしい。

なぜか?

実は父親の岩瀬庄兵衛のもとで暮らしているのが桜山葉子であって、恐怖美術館に行ったのは本物の岩瀬早苗だった。という話のオチがあるのではないのかという説が浮上している。桜山葉子は憧れの令嬢になることができ、岩瀬早苗は雨宮を追っかけることができ、win-winの交換条件成立だというのだ。

黒蜥蜴は毒を飲んで自殺。大阪中之島Kホテル522号室でトランプをする前に黒蜥蜴にたとえ話で説いて聞かせた三番目の女(二葉ゆゆ)と同じく、黒蜥蜴の純粋な愛情を知った明智小五郎は悲しみに打ちひしがれる。しかし敵・明智を愛するというご法度を犯した黒蜥蜴は、部下への示しがつかず、毒を飲むしかなかった。「ぼくに嫉妬する黒蜥蜴が好きなんだ。」という風に、黒蜥蜴を変態的に愛した雨宮が警察に逮捕され、ほんとうの岩瀬早苗が「いつまでも待つわ。」と告げる。これがまた意味深で、水美舞斗と天彩峰里がトップコンビを組むのかと勘繰らせる。いずれ雨宮は刑期を終え出所するだろうが、早苗を愛して同居することができるのだろうか?まず黒蜥蜴の死を受け入れられるのか?そこからはじまる。まさに真風涼帆という名の魔物が棲む宙組にふさわしい演目だった。

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2026年7月 1日 (水)

なかむら小児科開院23周年記念日

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2026年6月28日 (日)

宝塚歌劇星組「花より男子Ⅱ」(ライブ配信)をみて

自宅でまったりと観劇した。

カレーから、ありへ

しろきみから、うたちへ

音くり劇場付きから、るりはな&おふみ劇場付きへ

しっかりバトンを渡されていた。

おかずてんこ盛りで展開が早かったですが、無事に駆け抜け、つくし大学生活篇へバトンが投げられた。

ありのマイケルダンス、ありうたデュエットダンスが凄かった。

星組「DYNAMIC NOVA」のロケットで注目し始めた109期・神戸海星の美琴ゆゆちゃんも高校生役で出演、ダンスに注目した。めっちゃ、可愛い。

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2026年6月27日 (土)

九州魂で関目君と飲み会7

午前診を終えたら、関目君が来訪。九州魂で、FIFAワールドカップの話題。長友推しの関目君と、道安推しの私。

明日6/28、今福ファミリータウンに有沙瞳ちゃんがキャンペーンで来るので、関目君に行ってもらいます。

さよならを フー 告げるなら フー たそがれの街 ひとみー

白河りりちゃん、トップ就任が決まり次第、関目君はファンクラブに入会するそうです。私は、綺咲愛里ちゃん、有沙瞳ちゃんのファンクラブには発足当初から入会しており、星風まどかちゃんのファンクラブに発足1年後に入会してます。

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2026年6月26日 (金)

詩希すみれちゃん

103期、研3あたりの貸切公演抽選御挨拶から推している花組娘役です。とっても美人。そりゃ調布の東洋英和ですから。母は大浦みずき時代の花組黄金期娘役の霧原翔子さん、親子2代で生粋の花娘。歌うまさんです。

花組「エル・デセーオ」のタンゴのシーン。右手を顎にあて、左手を腰に当てて、男性を品定めする小芝居で、男性陣のうしろを颯爽と歩いていて、とってもカッコいい。

「蒼月抄」の禿役のひとり。豊中の初音夢ちゃん、伊丹の湖春ひめ花ちゃん、横浜の真澄ゆかりちゃんと共演しています。

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2026年6月25日 (木)

最新流行の時事用語2026

非対称戦争、AIドローンが核に勝利

パランティア社AIとシオニストと日本国自衛隊

旧ソ連邦トルキスタンとトルコの軍事同盟、ウクライナ・ロシア戦争終結

コスタEU大統領、ロシアと単独和平交渉、NATO解散、ロシアのEU加盟

バーナム英国首相、EU復帰へ

アメリカ、イラン経済制裁中止と中東から米軍撤退

OPEC諸国、イランと和平交渉、焦るイスラエル

高市首相、欧州からの協力も得てレアアース確保のめどが立つ

経済破綻の中国、年間1兆米ドル海外投資目的資金の海外流出を規制、AIを駆使して違法流出金を中国政府国庫に返還、日本税務署も脱税摘発国際協力

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2026年6月24日 (水)

宝塚歌劇宙組「黒蜥蜴」「Diamond Impulse」(1回目)をみて

午前診を終え、大渋滞の近畿自動車道、空き空きの中国自動車道を走って、宝塚大劇場に行ってきた。井高野君と現地集合。座席は1階21列下手側。宙組プログラム、きよら羽龍ちゃんの舞台ブロマイド、あーさ&ハバマイのブロマイドを購入。二葉ゆゆちゃん、きよら羽龍ちゃん、楓姫るるちゃんの四つ切ブロマイドはキャトルレーヴ通販で事前購入済み。花組Blu-ray「蒼月抄」「エル・デセーオ」を購入。極美慎くんは星組に戻ってトップにおさまるだろう。宝塚ホテルで、湖春ひめ花ちゃんとすれ違った。

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112期生 初舞台挨拶。

若手娘役の人数不足で寂しかった宙組に、にぎやかさが戻ってきた。

第一部 黒蜥蜴

春乃さくらちゃんの演技力がすごくうまくなっていて驚いた。ずいぶん芝居の勉強をしたんだろうなぁ。

黒蜥蜴(春乃さくら)が美人・イケメンの人体標本収集をする、毎度江戸川乱歩の世界。合言葉はエロ・グロ・ナンセンス。令嬢・岩瀬早苗(天彩峰里)が標本のターゲットになる。いい働きをした部下に、宝石とともに称号が与えられる。

青い亀 山吹ひばり

黄色い鰐 松風輝

明智小五郎(桜木みなと)が、定番の変装。売店の店主、松吉。娼婦、日活風に言えば「ズベ公」が桜山葉子演じる天彩峰里。岩瀬早苗と瓜二つ、身代わりとなって黒蜥蜴逮捕に協力する。

黒蜥蜴が美しき人体標本にキスをするたびに、嫉妬していた雨宮(水美舞斗)。桜山葉子との愛に目覚めた雨宮が、黒蜥蜴を裏切り、あの世での愛の成就を願って・・

明智小五郎に追い詰められた黒蜥蜴も毒を煽って・・

第二部Diamond Impulse

さーびしかった、宙の庭にもバーラが咲いたぁ♪

サイカ112期全員のロケットで久しぶりに宙組ロケットが華やいだ。

ダンスは、二葉ゆゆちゃん、きよら羽龍ちゃん、マイティーをオペラオペラ。

退団近そうな春乃さくらちゃんの銀橋わたりを見納め。春乃さくら、星風まどか、潤花、宙組トップ娘役3人で、共演出来たらぜひ観に行きたい。

エトワールは、109期の朝絵咲名(あさえ・さな)。おぼえとこ。

ショーの構成を観ていて、来年の宙組トップ人事がとても気になった。おはねちゃん、頑張れ、応援してるよ。じゅっちゃんを、マイティーに押し付け。この人がいる限り、客席降りは無理だろう。

私はいまだに芹香斗亜さん退団の扱いに納得がいっていない。水音志保ちゃんの添い遂げ退団だったことが、そして遥かスペインの地から、キキのインスタにいいねを送り続けるひろこちゃんの献身ぶりがせめてもの救いだ。

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2026年6月21日 (日)

詩ちづるちゃん3

YouTubeで「夢をつくる人たち」を拝見しました。うたち、素顔に近い薄化粧でもますます美貌が映えますね。次回の星組公演「RRR」チケットは、阪急交通社夢組が全落選、ぴあでなんとか1回分ゲット。なかなかチケット難ですが、頑張ります。

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2026年6月15日 (月)

用心棒シリーズ

YouTubeで無料配信中、花山大吉同様、外来診療昼休みに1年以上ずっと見ている。父がよく見ていたので覚えている。

栗塚旭

左右田一平

島田順司

マドンナはやっぱり、長内美那子か御影京子か土田早苗か宇都宮雅代。

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2026年6月14日 (日)

アレマンニ族とブルグント族

伊藤敏先生の先著曰く、

シュヴァーベン地方に由来するアレマン系有力氏族から、ハプスブルク家(オーストリア帝国)とホーエンツォレルン家(プロイセン帝国)を輩出した。

つまり、オーストリアとプロイセンは同族ということで、普墺戦争、七年戦争やってる場合ではないよということになる。

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さらに深掘って私が追加すると、

隣のブルグント族は、やあやあ我こそはと大きく出て、自分のところから王を出したら、ことごとくメロヴィング朝フランク族の内戦に巻き込まれて大被害、王はもうコリゴリだという民衆の空気が強くなり、フランク族の王をいただくようになった。スイス農民たちがハプスブルク家を叩き出したのはここに端を発する。ルターやカルヴィンが教皇のくびきを振り払ったしね。

対するアレマンニ族は、地味に謙遜して偉そうにせず、メロヴィング朝フランク族と要領よく婚姻関係を結び、王国建国の目標は捨ててはいなかった。ハプスブルク家もホーエンツォレルン家も隣国の王たちと婚姻関係を結びまくって強大になったのは、有名でよく知られているが、もとはと言えば、ここに端を発する。

ブルグント族は、呂布。アレマンニ族は、司馬懿ということで。

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駿台世界史レジェンド講師

昭和55~56年度、駿台予備学校でレジェンドだったのが、

世界史 大岡俊明先生

日本史 安藤達朗先生

私は理3受験生だったので、英語、数学、物理、化学、古文、漢文にかまけていたが、文1受かった人たちは口をそろえて絶賛していた。正誤問題すらない共通一次2~5年目の世界史に高レベルの知識はまったく不要だったけど、今となっては受講したかったな。

世界史の切り口が鋭くて痒いところに手が届きすばらしい代ゼミの伊藤敏先生も大岡俊明先生の講義を駿台で聴いておられたと聞き、懐かしく思った。

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2026年6月13日 (土)

ギリシア英雄たちの裏事情

渡辺浩先生のエッセイ集がわかりやすくて、とても面白い。

テミストクレスには、アリスティデスというライバルがいた。アリスティデスは温厚な性格で、テミストクレスは功名心が強く、他人への嫉妬心に燃え、他人を味方と敵に二分して付き合う性格。

BC490年、マラトンの戦い。アテネ軍は10人の指揮官が日替わり交代で指揮していたが、アリスティデスが当番の日、ミルティアデスの才能を認めて、ミルティアデスに指揮を譲って、数時間で大勝。ミルティアデスが国民的英雄になり、アシストしたアリスティデスも名声が高まった。それを見ていたテミストクレスは嫉妬心に燃え上がった。

BC489年、さらなる功名心に燃えたミルティアデスは無理を承知でパロス島侵攻し、傷がもとで死去。

テミストクレスは海軍の重要性を弁論であおり、重装歩兵重視のアリスティデスを攻撃。

BC483年、アリスティデスの陶片追放が成立。ラウレイオン銀山発見。

BC480年、各ポリスから有志を募った第一次陸軍部隊が、アケメネス朝ペルシア王クセルクセス軍をテッサリアで迎え撃とうとしたがあっさり撤退。デルフォイ神託も手伝って、テミストクレスが海軍中心の防衛体制を敷き、国外追放者の帰国が許され、アリスティデスもアテネに帰国。

BC480年、第二次陸上部隊をテルモピレーで奮闘するスパルタ王レオニダスにつけ、海上部隊をエウボイア島アルテミシオンに派遣。テミストクレスが不人気で、スパルタのエウリュビアデスが指揮を執った。折しもオリュンピア祭典中で、人手が集まらず、レオニダス王が玉砕。アテネ防衛は破られて、パルテノン神殿放火炎上。アルテミシオン海戦は神風のおかげで引き分け。

エウリュビアデスはコリントス地峡への後退を主張、テミストクレスはサラミスでの決戦を主張。後退すれば、サラミス、アイギナ、メガラの海上部隊と、アテネ避難民たちを危機に陥れることになるとテミストクレスが熱弁、その意見が通る。

テミストクレスは、クセルクセス王にスパイを送り、信じ切ったペルシア艦隊がコリントス海峡を全面閉鎖。そこへアイギナから小舟をこいでアリスティデスがサラミスに到着。信望厚いアリスティデスが熱弁でテミストクレスへの不信感をぬぐい去り、団結心が戻った。

ギリシア海軍は小型船を敏捷に動かして1日でクセルクセス艦隊が全滅した。

BC479年、自国での奴隷反乱を恐れていたスパルタに、戦えの神託が下った。プラタイアの戦い。スパルタ司令官パウサニアス指揮のもと、テルモピレーで辱めを受けた国民的英雄レオニダス王への弔い合戦と化した。

ようやく国民的英雄となり功名心を満たしたテミストクレスだったが、のちに陶片追放。追手に追われてアルゴス、コルフ島、ついにはペルシアに亡命、クセルクセス王から丁重にもてなされることになる。第三次ペルシア戦争への協力だけは頑なに断り続けた。

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2026年6月12日 (金)

伊藤敏先生「地図で学ぶ深読み世界史」を読んで

世界の紛争地に思いっきりスポットライトを当てて拡大鏡でみた世界史です。ここさえ押さえたらぐうの音も出ないポイントの詳しい歴史がいいですね。分厚い世界史専門書何十冊分をギュッと要約してくれていてわかりやすいです。

第1部シーレーン

マラッカ海峡はアチェ王国の海賊行為で長らく通行不能だったことは、他書で知ってましたが、代わりのスンダ海峡が浅く、タンカーが通れないことは知りませんでした。ロンボク海峡、勉強になりました。

鄭和船団やポルトガルが寄港した東アフリカ沿岸を、オマーン帝国が徐々に支配していく図はなかなか貴重です。

2026年の共通テスト問題に出題されたソマリーランドの歴史もよくわかりました。

シーレーンに進出する中国は、フェニキア本土に住めなくなったカルタゴになるかもしれませんね。

第2部北西航路

地球温暖化で今後の発展が予想される航路。

経度問題。

1735年、ジョン・ハリスン「クロノメーター」発明。

1879年、ノルデンショルドが北東航路航行。

1906年、アムンゼンが北西航路航行。

第3部スイスのアルプス交通路

面白い中世のお話。教皇派と皇帝派で紛争するイタリア都市国家と、神聖ローマvsフランスの争奪戦がとくに面白い。このロタリンギア争奪戦、カール大帝の息子たちの世代からずーっとやってる。ダンテ、ダヴィンチ・・・

ギリシア・ローマ文明が滅んで、ずーっと忘れ去られていた重装歩兵戦術が思い起こされた時代。騎士敗れる!!「あれ?意外と強いじゃん。」市民がみな平等でみな徴兵でなければできない最強戦法。哀愁のランツクネヒトへと発展。「俺たちはついに自由の身になったぞ。」

近隣国へのスラヴ奴隷貿易で栄えたフランク商人経営のサモの国に従属して仕えていた宰相クラスのスラヴ貴族が、チェコ(ボヘミア)を建国。ゲルマン七選帝侯にちゃっかりおさまる。チェコはスラブでも格が上。

スイスを根源としてアメリカが孕む恐るべき原理主義のお話。

第4部巡礼

都市が聖遺物の争奪戦。中世温暖化からの巡礼、十字軍、レコンキスタ。それにしても下水汚物がひどかった都市。

1139年、教皇インノケンティウス2世が、テンプル騎士団に銀行特権を賦与。手形の発明。イタリアへ伝播し、複式簿記が発明される。テンプル騎士団が警備。イタリア海運業は、巡礼者と軍隊を運搬した。

12世紀に、十字軍の目的が聖地回復から異教徒粛清に変化。

ポーランド=リトアニア連合に敗れて、教皇のパシリをやめたドイツ騎士団。

多額の賠償金もさることながら、WW1後のダンツィヒ没落がドイツをWW2に駆り立てた。

第5部アフガニスタン

他書で読んだのだが、エラム人はもともとアフガニスタンに住んでおり、ラピスラズリを輸出して、実はドラヴィダ人ではなく、インダス文明を起こしたとも言われている。シュメールと交易するため、スサに移住してきた。謎が多い民族だ。

東南シルクロード 成都~雲南~ビルマ~ベンガル

セレウコス朝シリアは、ペルシア高原とシリア支配に熱心で、東部にまで目を配っていなかった。

グレコ=バクトリア王国からの大月氏クシャーナ朝。ゾロアスター教は来世の幸せを保証してくれないので、来世の幸せを保証してくれる仏教に改宗したとNHK番組で観たことがある。

三大国の時代。

エフタル王ミヒラクラ(515~540)が印欧族ミスラ教ミスラ神を信奉し、仏教弾圧。

ササン朝ペルシアはゾロアスター教アフラ=マズダ神を信奉。

西突厥は大乗仏教を信奉。

イラン  サファヴィー朝 → アフシャール朝 → カージャール朝

アフガン ホータキー朝 → サドーザイ朝 → バーラクザイ朝(アフガニスタン首長国)

「グレート・ゲーム」英露対決

ムジャーヒディーン運動

1919年 第3次アフガン戦争でアフガニスタン独立

アマーヌッラー・ハーン改革(近代化) → ハビブッラー・カラカーニー 

→ ナーディル・シャー → ザーヒル・シャー → ダーウード(王政廃止・共和国)

1978年 サウル革命 アフガニスタン人民民主党(ヌール・ムハンマド・タラキー)

1979年 ソ連アフガニスタン侵攻 ⚔ ムジャーヒディーン運動

アメリカ武器・資金支援からサウジアラビア武器・資金支援(ウサーマ・ビン・ラーディン)へ

1994年 ターリバーン(イスラム原理主義) 

アルカイーダ指導者ビン・ラーディンの身柄引き渡しを拒否。アメリカが実力介入。アフガニスタン・イスラーム共和国を樹立したが、2021年、ターリバーンにより政権交代。

第6部ラオス

タイ  スコタイ朝 → アユタヤ朝 

ラオス ラーンナー王国 → ラーンサーン王国

ラオス4分裂時代

清の反政府組織(黒旗軍)がベトナムに亡命、タイやラオスに侵攻。

仏領インドシナのフランス軍が黒旗軍を一掃、ラオスを保護国化。目的は、中国貿易ルート(ラオス・メコン川交通路)獲得。大英帝国のマラッカ海峡航路に対抗。

1940年 ナチス・ドイツがフランス占領、仏領インドシナは独領インドシナに変化。支那事変の長期化の原因となった援蒋ルートを日本軍が攻略。

国王派 vs 自由ラオス

ホー・チ・ミンの共産主義運動の影響で自由ラオスが共産主義化、「パテート・ラーオ」と呼ぶ。

1964~1973年 ラオス内戦

1965~1973年 ベトナム戦争

アメリカはラオス側からホーチミン・ルートを遮断しようとしたが失敗。

1973年 パリ和平協定、ラオス和平協定

1974年 パテート・ラーオを中心にラオス民族連合が成立し、王政廃止。ラオス人民民主共和国が建国。

広がる共産主義国の経済改革開放路線。

1978年 中国・鄧小平

1979年 ラオス

1986年 ソ連「ペレストロイカ」

1997年 アジア通貨危機

ASEAN以外に中国との関係を促進。

2021年、ラオス中国鉄道開通。ラオスを債務漬けにするものであり、莫大な不良債権の案件となっている。山岳地帯が険しく、ラオス国民は分断されており、人口増加もままならない状態で、見返りが期待できるのか?

現在、中国からラオスに大量移民。経済崩壊し公害毒物汚染激しい中国本土にはもう住めない。

第7部コンゴ

ルパ王国 コンゴ王国と東アフリカ沿岸都市と交易。

1836年 ポルトガルが奴隷貿易廃止。

6分裂していたコンゴ王国が、奴隷貿易から商品貿易へ転換。

1914年 コンゴ王国滅亡。

1854年、1866年 リヴィングストン探検

1871年 スタンリー探検

1883年 コンゴ自由国。ベルギー王レオポルド2世の私領になる。天然ゴム・プランテーションで先住民奴隷を虐待。

カッパーベルトで銅、ウランを採掘。

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2026年6月11日 (木)

上部・下部消化管内視鏡検査2026

ドバイの事情で恒例の旅行を中止したので、近医で年中恒例の検査を受けた。結果はEHH、RE自然治癒、ポリープなし。近日、帯状疱疹ワクチンを定期接種する。

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